マスコミは刺激的なストーリーを好む

佐川氏の答弁で面白かったのは、「100問を超えるのか分からないが、(答弁準備が)事実上間に合わないケースもあった」と、国会質問に事実上、対応できていなかったことを明かしたことだ。

もちろん、これは、佐川氏本人がいうように言い訳にはならない。しかし、ノンキャリア中心の理財局国有財産部局で国会想定対応ができなかった可能性は高い。

筆者にも経験があるが、国会質問が100問を超えると、事前準備ができにくくなる。とくにノンキャリアの場合には国会対応に慣れていない。そして、佐川氏自身も国有財産業務はそれまで未経験であり、土地勘がない。そうしたなかで、答弁ミスが生まれたと考えるほうがより合理的である。

しかし、マスコミは実務がわからないので、“疑惑”というストーリーを好む。事実はシンプルなのに、それでは面白くないと感じるのか、より刺激的な展開にもっていこうとしがちだ。

財務官僚は政治家に忖度するような存在ではない

「総理の意向」という“疑惑”を報じるマスコミには、「総理の責任を問う」という“思惑”がある。これにだまされてはいけない。世間には「安倍叩き」を期待するがあまり、犯罪に手を染めた人に過剰な期待をする人たちがいるが、それでは本末転倒だ。

今回の問題の根底にあるのは、財務官僚のおごりである。財務官僚は政治家に忖度するような存在ではない。むしろ政治家をコントロールする存在だ。内閣人事局ができたことで官僚は官邸を忖度せざるを得なくなった、というストーリーもよく聞かれるが、財務官僚には当てはまらない。たとえば内閣人事局ができて以来、天下りを含めて財務省の意向に反した人事は行われていないからだ。

私が1年前から「森友問題は近畿財務局のチョンボである」と言ってきたのは、「総理の意向」ではなく、財務官僚のおごりによって起きたことだとわかっていたからだ。より深刻な問題は、政治的な圧力がなくても、公文書の改竄という犯罪が起きてしまったことなのだ。