すべてブログに書けば、政策実現は遠のくだけ
昨秋のことでした。民間放送連盟の報道研修会に、音喜多駿都議と私が講師として招かれました。研修会のテーマは、小池百合子東京都知事が当選した都知事選から昨年の都議会議員選挙、衆議院総選挙までの流れをどう見るか、というものでした。
この場において、ある記者が音喜多都議に対し「日々ブログを書かれ発信されていることは素晴らしい。私たちはそのブログをもとに取材ができるのだから」といった趣旨の発言をされたのですが、私はその場で反対意見を申し上げました。
私も日々の政治活動についてブログに書いています。しかし、私は水面下で作業を進めていることについて書かないと決めています。これは議員活動の情報公開を否定しているのではありません。単純に、表に出せるタイミングまで待っているだけのことです。メディアの世界では、一番先に事実を公にした人が褒められるのでしょうが、物事を円滑に進めようとする立場になれば、そんなことはできません。
大きなプロジェクトであればあるほど水面下での交渉は難航するものです。裏を返せば本質的な提言は日々のブログには記しづらいものです。私にとっての政策とは「大事に蒔いた種に丁寧に水を撒いて開花させる」ことなのです。
音喜多氏は見たり聞いたりしたことをすべて公開しているように見受けられます。それでは周囲の信頼を失うだけで、政治家の本分である政策実現は遠のくだけです。
東京五輪を「夏から秋」に変更する案があった
これは今だから言える話ですが、舛添要一前都知事は、東京の猛暑対策として「2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催を夏から秋へ変更する」という計画を秘密裡に進めていました。猛暑でのオリンピック・パラリンピック開催は、選手にとっても、運営する立場にとっても、観客にとっても過酷なものです。私も舛添氏からこの計画を「舛添おろし」が始まる直前の16年4月に偶然にもお聞きし、これは面白い事だ、ぜひとも秋開催の可能性を探っていただきたいと思いました。
しかし、世間には知れ渡らないまま実現に向けて動いている段階でその舛添降ろしが始まってしまったのです。水面下でプロジェクトを進めていることを知っている私は、メディアに同調して舛添批判をすることもできず、苦しい立場でした。責任ある行政の推進と舛添氏の個人的な問題は分けて考えるべきだったと今でも信じています。
当時、この計画を私がブログで発信すれば「舛添憎し」で凝り固まるメディアの反発により、夢の構想はさらに後退してしまったでしょう。もしくは、根回しも済んでいない状態であれば多くの関係者が舛添氏のスタンドプレーだと批判したでしょう。結局、舛添氏は辞任しましたが、後任の小池百合子知事は「都議会自民党憎し」で都政を推進したため、東京五輪の秋開催はなくなりました。それどころか、選手村から新国立競技場をつなぐ道路として期待されていた環状2号線の開通も、五輪後となってしまったのは残念な事です。