それから3カ月後

インタビューから3カ月後、実際に京北町を訪れ、住民の声を拾ってみた。スーパーでの買い物を終えて出てきた50代の男性は、こう語る。

「ここだけの話やけど、私も、当時、おばあさんの体調が悪うて、先生に(安楽死を)お願いしますて考えたことがあります。ほんまに面倒見がええ先生やった。もともとは無医村やったので、助けてもらった方はぎょうさんいると思いますよ。うちの坊主が魚の骨をつっかえた時、取ってもろたんも山中先生やったしね」

宮下洋一『安楽死を遂げるまで』(小学館)

同年代の別の女性もこう言う。

「小学校の時やったかな、私も先生に盲腸の手術をしてもろてるんですわ。子供も世話になってるし。頼りがいのある先生やったさかいね、あんなことになると思ってへんかったですね。メディアが騒ぎ過ぎやわ。私は、もう看護婦さんが嫌やったね」

住民全員が、元院長に恩赦を与えているようだった。「誰かも分からんあんたに、先生の話なんかできるか!」とか、「その話は勘弁してください」と冷たい言葉を返す人々もいた。だが、私は、個人的にこうした共同体、あるいは村社会が嫌ではない。その理由は、村社会よりも個の社会を貫く欧米諸国の殺伐とした空気を、長年、肌で感じてきたからだ。

車を降りて、少し頭を冷やしてみる。

この小さな共同体内には、暗黙のルールが存在している。人間付き合いにしても冠婚葬祭にしても、きっと目に見えない掟があるのだろう。おそらく安楽死にしても、そうした何かが適用されたに違いない。そんな彼らに、よそ者の私が口を挟んでいいものか……。

京北町では、医師と看護師の対立によって、それが顕在化した。しかし、目に見えないだけで、日本の他の場所でも、類似の事例が発生していたのかもしれない。

みぞれが細雪に変わりゆく景色を眺めながら、そんなことをつらつらと思っていた。

宮下洋一(みやした・よういち)
ジャーナリスト
1976年、長野県生まれ。18歳で単身アメリカに渡り、ウエスト・バージニア州立大学外国語学部を卒業。その後、スペイン・バルセロナ大学大学院で国際論修士、同大学院コロンビア・ジャーナリズム・スクールで、ジャーナリズム修士。フランス語、スペイン語、英語、ポルトガル語、カタラン語を話す。フランスやスペインを拠点としながら世界各地を取材。主な著書に、小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞した『卵子探しています 世界の不妊・生殖医療現場を訪ねて』など。
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