2回目の首脳会談は2007年10月4日(盧武鉉と金正日)。そこでも北の核問題には触れず、「南と北はわが民族同士の精神によって、統一問題を自主的に解決し、民族の尊厳と利益を重視して、あらゆるものをこれに志向させていくことにした」と、やはり統一問題に終始しています。

この会談の前年の2006年7月5日には、北朝鮮は初のICBM(テポドン2)、ノドンとスカッドC(火星6)6発を日本海に向けて発射し、10月6日には初の核実験を強行。国連安全保障理事会は即刻、全会一致で北朝鮮制裁を決議しました。

この2例のように、今後の南北首脳会談でも、核問題は抜きで「統一問題の自主的な解決」が話し合われることになるでしょう。これまでアメリカは「北核問題と南北和平問題は別問題」としてきましたから、「核問題抜きの南北首脳会談」に強固な反対をすることはないと思われます。

盧武鉉政権下の三つの「親北政策」

文在寅が心酔する盧武鉉元大統領が最大の政治テーマとしたのは、金大中の対北融和政策である「太陽政策」を引き継いでいっそう推し進め、南北統一へ向けて南北連合国家を形成していくことでした。

そこで盧武鉉がとった政策の一つは、過去の「韓国独裁政権」が侵した人権侵害を断罪することです。しかしその一方で、北の核開発や多数の人権侵害については、批判も抗議もまったく行うことがありませんでした。

二つ目は、韓国史の「北朝鮮式書き替え」でした。北朝鮮史を肯定的に評価する「親北史観」が台頭していったのです。2003年から多数の高校で採用されていった「韓国近現代史」教科書では、戦後韓国の歴史を「米政府および独裁政府」対「韓国民衆」という構図で否定的に記述し、北朝鮮体制を「民族自尊を守りながら絶え間ない変化を追求する合理的体制」と、肯定的な観点で記述しています。