「社員は会社の命である」
28歳のときから約10年、労組の専従役員を務めたときの体験が、改革の基盤にあった。国内シェアが激減し、「夕日ビール」と揶揄されていた時代の81年11月、会社は経費削減に540人の希望退職を募った。経営の厳しさを知っていた組合は提案を受け入れ、会社による説得とは別に、役員が手分けをして退職を勧めに回る。自分も、ある工場の50歳近い先輩に会い、事情を説明した。
その先輩に言われたのが「会社が割り増し退職金でと声をかけてきたので、私は去っていくが、声の大きい人の話を聴くだけではなく、声なき声、真面目にコツコツと仕事をしてきたのに辞めていく人たちの声を聴くことも、してくれよ」との言葉だ。胸に応え、いまなお、胸に重く残っている。
社員1人1人の働く意欲と暮らしを守れなくて、何が経営か。そんな強い思いが、2011年7月に持ち株会社傘下のアサヒビールの社長になった際、社員たちに語った抱負に出た。「社員は会社の命である」。ちょっと尊大な気もしたが、希望退職に応じて去った先輩の言葉への、答えだった。
「聞不言之言」(不言の言を聞く)──口には出ない言葉、声なき声を聞くとの意味だ。中国の古典『荘子』にある言葉で、リーダーとしての心得を説く。人事改革にコンピテンシー診断を活用し、「声に出てこない声」を受け止めた小路流は、この教えに通じる。
2016年3月、持ち株会社のアサヒグループホールディングスの社長に就任、課題に事業の国際化の推進を挙げた。人口減の国内は、酒類の消費が減少する。非アルコール飲料や食品など需要の強い分野の強化は当然だが、「会社の命」と明言した社員たちの未来を築くには、国際化は進めたい。
今春、ベルギーのビール会社から、東欧5カ国の製造会社や販売会社を8社、買収した。目玉は、チェコの「ピルスナーウルケル」ブランドで、同国で48%のシェアを持つ。日本のビールの原点と言える会社で、先輩たちも自分も、そんな会社のオーナーになるとは夢にも思わなかった。9000億円近い投資の決断には、そこから新たな世界を切り拓きたい、との思いがある。だからこそ、厳しかった買収競争を、凌ぎ切る。
嗜好が多様化、高級化した日本の消費者に、来年は「ピルスナーウルケル」を届けたい。一方で、アサヒの看板「スーパードライ」を、東欧の人々に味わってもらう。「声なき声」は、国内外の消費者からも、発信されている。「聞不言之言」も、国際化していく。
1951年、長野県生まれ。75年青山学院大学法学部卒業後、朝日麦酒(現・アサヒビール)入社。東京支社特約店営業部長を経て、2001年執行役員、03年アサヒ飲料常務、07年アサヒビール常務、11年アサヒグループホールディングス取締役兼アサヒビール社長。16年3月より現職。