ロヒンギャは民族として認められず

ミャンマーでは1948年の独立以来、少数民族によるテロなどの武装闘争が継続していましたが、2012年以降、これら組織と政府との間で和平交渉も進められ、テロ事件は大幅に減少しました。一方でミャンマー北西部のラカイン州に居住するロヒンギャは無国籍の住民として、少数民族にも認められなかったため、その後も虐げられた状況でした。

それでは、ロヒンギャとはどのような民族なのでしょうか。一部報道ではロヒンギャを民族名としているものもありますが、厳密には民族名ではありません。ロヒンギャの人々は19世紀初頭の英国とビルマ(現ミャンマー)との戦争で、英国がラカイン州を英領インドに編入したのを機に、ベンガル地方から移住し定住したイスラム教徒の人々でした。そのため、当時からロヒンギャと仏教徒の対立は高まっていました(現在、ミャンマーに居住するロヒンギャは約80万人と推定されています)。

第2次世界大戦中、ビルマは日本軍政下となり、英領インドとの国境地帯の緊張は高まりました。日本軍はラカイン州の仏教徒を武装させ、英軍はベンガル地方に避難していたイスラム教徒(ロヒンギャ)を武装させ、ラカイン州奪還作戦を敢行したため、ラカイン州ではイスラム教徒と仏教徒との戦闘が激化する結果となりました。

1948年のビルマ独立後は、ラカイン州の仏教徒はビルマ軍に協力し、ロヒンギャの迫害、追放を開始しました。1982年にはロヒンギャから実質的に国籍をはく奪する法律が施行され、ほとんどのロヒンギャが無国籍の状態となりました。1988年になり、ロヒンギャはアウンサウンスーチー氏の民主化運動を支持したため、軍事政権は徹底的に弾圧したという歴史があります。

2012年6月、ラカイン州で大規模な仏教徒とロヒンギャの衝突が発生し、200人以上が殺害される事件が発生しました。当然ながらミャンマー政府は、非はロヒンギャにあるとして弾圧を強めたことから、バングラデシュへの難民が数多く発生しました。このような中で発生したのが、2016年10月9日のロヒンギャ武装グループによる警察官襲撃事件でした。この事件で9人の警察官が殺害されたとして、ミャンマー政府は武力弾圧をさらに強めました。

ミャンマー政府としては、パキスタン、サウジアラビア等から支援を受けたロヒンギャ武装グループによるテロ攻撃であると主張し、2017年8月、ミャンマー政府の対応が問題なかったとする政府調査委員会の最終報告書を発表しました。

一方、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は2017年10月11日、「ミャンマー国軍が意図的にロヒンギャの家屋・田畑を破壊・放火している」との最終報告書を公表したため、国際社会の注目を浴びることとなりました。ちなみに、2016年10月以降、ミャンマーからバングラデシュに逃れたロヒンギャ難民は58万人と推定されていますが、バングラデシュにおいても十分な受け入れ体制が整ってない状況です。