「食の安全」への道、ミラノで感じた風
2002年5月、スローフーズ課を新設した。いまの農業生産法人・美田の前身で、課員は4人。創業の土台である醤油など古来の醸造技術を学び直し、固定観念にとらわれず、自然食で伝統的な調味料をつくってみたい。前々から脳裏にあったその夢に挑戦するためで、47歳になった翌月だ。
4年前にイタリアを訪ねたのが契機となる。ミラノ在住の知人女性が「久原の明太子でスパゲティをつくったら、イタリア人が『美味しい』と喜んだ。売り込みにきなさいよ」と言ってきたので、遠くて気は進まなかったが、独りフランクフルト経由でいった。
明太子の販売は、流通経路がないので無理だと、すぐにわかる。でも、何人か日本人が集まっていたとき、「自然食で伝統的な調味料」の話をすると、1人の男性が「それ、スローフードじゃないですか」と言った。そんな言葉は知らず、尋ねると、イタリア北部のブラという町で始まったある種の社会運動だ、と教えてくれた。
1980年代半ば、ローマに米国型のハンバーグ店ができたとき、イタリア人の間に「ファストフードにイタリアの食文化がつぶされる」との危機感が生まれた。伝統的な食文化、とくに地域の食材を大事にする運動が起き、対抗して「スローフード」と呼んだ。男性は、そんな説明をしてくれた。
なるほど、と頷く。この動きは世界に広がり、日本にもくるのではないか。「安全・安心」が重視され、食材がどうつくられたのかが重要になるな、と考えた。帰国後、スローフードの発想を新たなブランドにつなぎたい、と勉強を始める。新しい風に、反応した。