躊躇した東京進出、「働く女性」に人気

「濯去舊見、以來新意」(舊見を濯い去り、以て新意を來たす)――古い意見は棄て、新しい意味を考え出すとの意味で、中国・宋の朱子らの撰による“近思録”にある言葉だ。何か疑問を抱いたら、それまでの古い考え方にとらわれず、新しい発想を持つように説き、「茅乃舎のだし」に至る過程でいくつもの古い考えを否定した河邉流は、この教えに通じる。

2010年4月、東京・六本木のミッドタウンに「茅乃舎」を開店、出汁をはじめ保存料無添加の調味料や食品を、首都で売り出した。調理を実演し、お客に試食してもらう形にして人気を集め、以来、全国に展開している。

実は、5年前にきた最初の出店依頼は、辛子明太子の店。「明太子は博多にあってこそのもの」と断ったが、再び依頼があり、今度はたまたま博多の百貨店に「茅乃舎だし」の売り場を開いたときだった。相手はそれをみて「こちらがいい」と言う。その後、先方の社長とやりとりがあり、「1年後の売り上げをみて判断したい」と話すと、「1年後に出てもいい」と解釈された。売り場の候補地を1年だけ借りるテナントをみつけたと言い、外堀は埋まった。

時代は、外食から惣菜などを買ってきて自宅で食べる中食へと分散し、ときには家で手料理を食べる内食の風も吹き始めていた。しかも、働く女性が増え、一から出汁をとる時間もない。安全志向は、さらに強まっていく。メディアが、地域生まれの「地調味料」を取り上げてくれた。そういうことが重なって、風に乗れた。思い返せば、イタリアへ嫌々でもいったのがよかったのか、とも思う。

でも、「濯去舊見」を忘れ、いつまでも現状に居続けていたら、先は厳しい。これからは、低カロリーで栄養のバランスがいい日本食は、ますます世界に広がるだろう。ただ、外食事業を展開するつもりはない。昨夏にベトナムに開いた初の海外店は、本物の和食の発信地にするが、いろいろな点で勉強するのが狙いだ。日本を訪れる外国人が大きく増えた時代、和食の力でそれに応えるには、多様な人々が味わい楽しめるように、もっと自社ブランドがほしい。そのために、スローフードのような風を、つかみたい。

これまでに椒房庵の明太子、各種のたれ、茅乃舎の出汁をブランドに揃え、「3本の矢」と言ってきたが、最近は「5本の矢」と口にする。なぜなら「茅乃舎だし」は、もうこれ以上に、大きくしたくない。あまりに大きくなると、必ず、いろいろな問題が出る。無理をして店を増やし、増産するという愚かな道に走る。それはしたくないから、次なるブランドを創り出したい。名だたるブランド企業は、そこがしっかりしている。

まだ社内にはあまり話していないが、いま2つ、考えている。1つは2年くらい先になるが、もう1つは2月末にある地へ出張し、独断で固めた。「あっ、これ、絶対に面白い」と閃きがあった。もちろん、お客たちに喜んでもらうには、「濯去舊見」は怠らない。

久原本家グループ本社 代表取締役社長 河邉 哲司(かわべ・てつじ)
1955年、福岡県生まれ。78年久原調味料(現・久原本家食品)入社。96年くばらコーポレーション社長。2004年、農業生産法人「美田」を設立。05年レストラン「茅乃舎」を開業、「茅乃舎だし」を発売。13年久原本家グループ本社を設立、社長に就任。
(書き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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