2000年の初め、日本で次々に「食の安全」を揺るがす事件が起きた。牛乳メーカーで、工場が停電中に増殖した菌から毒素が出ていたのに、必要な措置をせずに出荷し、大規模な食中毒を招く。肉骨粉を使う食品会社で、牛海綿状脳症いわゆる狂牛病が確認されて、肉骨粉の製造や輸入が停止となる。さらに、輸入牛肉を国産とする偽装も、相次いだ。
消費者は衝撃を受け、「食の安全」が社会問題化し、ミラノで感じた予感は当たる。一方、「博多からしめんたいこ」と「キャベツのうまたれ」の2つの自社ブランドの売上高は、全体のまだ2割。大手食品に相手ブランドで納入するOEMが中心で、前編で触れた「OEMを切られたら、会社は危ない」との不安は、消えない。
久原本家は、もともとが醤油の醸造業。あるとき、ふと「醸造から川上へずっと上っていくと、何なのか」と思い、閃いた。「そうか、大豆や米、小麦だ。農業をやろう」。そう決めて、冒頭のスローフーズ課が生まれた。2年後には農業生産法人に衣替えし、農業が蓄えてきた先人の知恵を追う。
2005年9月、福岡県久山町の本社近くに、自然食レストラン「茅乃舎」を開業した。ただ、ここが無添加の新製品の発信基地になるとは、考えていない。若いときに可愛がってくれた叔父が、福岡で郊外レストランを切り盛りし、成功した。叔父は早世したが、子どもがなく、「お前が継げ」と言われていた。そのつもりでいたら、父に醤油会社を継がされた。でも、いつかレストランに挑戦したいとの思いは、残っていた。
周囲は「そんな不便なところにレストランなんて、お客はこないぞ」と反対した。でも、当たり前のことをやっていたら、突破口は開けない。旧来の考え方は、棄てた。「日本のスローフードの決め手は出汁、それもアゴの出汁だ」と出した結論に、勝算もあった。アゴは飛び魚のことで、九州には雑煮の出汁に使う家庭が多い。博多の名物の1つになればいいくらいの気持ちで、始めた。
都会から離れた地でも、お客は車できてくれた。「十穀鍋」と名付けたメニューをつくると、「出汁が美味しい。家庭でも、こういう出汁で簡単に本格的な料理がつくれたらいいね」と言ってもくれた。試しに、通信販売で「茅乃舎だし」を売ってみる。OEM用に小袋入り醤油をつくる機械があったので、一回ずつ使う小袋入りにして、カタログに見本を付けた。無添加、美味しい、そして便利だと、口コミで大ヒット。3つ目の自社ブランドとなる。