子を持つ親や、小児性愛自体に生理的嫌悪感を抱く多くの人々にとって、厳罰化の流れは朗報だろう。しかし、「所持」自体を禁止するという規制の方法には、多くの疑問が投げかけられている。それは「児童ポルノ」、なかでも「ポルノ」の概念があまりに曖昧だからだ。

法律上、「ポルノ」は「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態」などと定義されている。しかし、普通の親でも、自分の子どもの全裸・半裸の写真を撮ることはあるものだ。それを頒布・販売する親が取り締まられるのは当然としても、そういった写真の所持までが禁じられてしまえば、私たちは素朴な家族写真すらも満足に撮れなくなってしまう。

法律上の「児童ポルノ」の定義
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法律上の「児童ポルノ」の定義

1964年、文書の「わいせつ性」の定義について争われた事件の判決文に、当時の米連邦最高裁判所の判事、ポッター・スチュワート氏は、こう書き記している。「ポルノ写真の類について、どういうものを規制すべきか、法で定義して決めるのは難しい。しかし、見ればわかる」と。ポルノの定義を条文に示す悩みを表現した名言といえよう。

現在、法律で単純所持が原則として禁止されているものとして、覚せい剤や麻薬などの幻覚薬物や、銃や爆弾などの危険物があるが、これらはいずれも定義が比較的はっきりしているものばかりだ。ここに「児童ポルノ」を加えるのは違和感があるのは否めない。過度に広範な規制を敷く刑罰法規によって、捜査当局が恣意的な取り締まりを行うような事態は回避されなければならない。

児童ポルノの所持を網羅的に規制する案は、性犯罪を防ぐ効果より、社会生活上の弊害のほうが大きい印象を受ける。また、小児性愛の傾向を持つこと自体は罪ではないし、過去の成育環境がそうした傾向を助長させた可能性が高く、本人に責任を帰しがたい面もある。小児性愛者は、処罰というより、むしろ、治療やカウンセリングの対象となるべき人々といえよう。この法案が、世間の差別意識を拡大させる、窮屈な結果を生むことを危惧する。

(ライヴ・アート= 図版作成)