工場は、首都ヘルシンキから北西へ約200キロのカウツア地区のエウラ市にある。市といっても辺鄙な地で、ホテルもない。工場にクラブハウスと暖房だけはある宿舎があり、そこに泊まる。出張は、大半が寒い時期ばかり。気候のいい季節は短く、相手側に休暇をとる人が多いためだ。冬は雪が深く、クラブハウスで食事をとった後、震えながら宿舎へ歩いた。

そんな日々を重ねるなか、「これは大変だ。果たしてできるかな?」と思ったのが、相手の幹部らとの信頼関係の構築。「感熱紙のつくり方は、こうですよ」というところから始まり、必要な設備投資も相手にとっては素人の分野だから、きちんと説明して納得してもらう必要がある。何事も、よく理解してもらうには、どういう人間を連れてきて説明させれば最善か、工夫が欠かせない。相手の工場長を勿来工場に案内し、生産現場をみてももらった。その飛行機の切符も、手配した。信頼関係の構築と円滑な操業開始へ向け、無理をせず、手間暇もかけた。

楽しみは、フィンランドだけにサウナだ。クラブハウスから少し離れた湖畔にあり、ときに連れていってもらう。出たら冷たい湖に飛び込み、またサウナに入る。それだけのことだが、相手と思いをつなぐ機会ともなっていく。

92年7月、合弁会社が設立されて、感熱紙の工場が立ち上がる。その前に、宮城県の石巻工場への異動の内示を受けていた。フィンランド出張の記録が詰まった古い手帳を広げると、合弁会社へ副社長兼工場長としていく先輩を送り出したのが6月。周囲では「芳賀さんがいくのだろう」との声が多かったが、石巻へ赴任した。だから、立ち上げの式典はみていないが、すべての思いを一点に集中した充実感が、残る。

合弁会社の業績はなかなか伸びず、何度か手放す話も出たが、生産能力を増強し、黒字が定着しつつある。社長時代の2013年に合弁相手から株式を買い取り、100%子会社にもした。もう四半世紀がたつが、「本当の戦いは、これからだ」と思っている。

「心勿忘。勿助長也」(心に忘るること勿れ。助け長ずること勿れ)──物事に心をとどめることは怠ってはならないが、早く発展させようと、無理に力を加えてはいけない、との意味だ。中国の古典『孟子』にある言葉で、何かを成す際はそのことに集中するべきだが、自然な進展を待たずに成果を急いではいけない、と説く。合弁事業の成否は相手との信頼構築にあると見定め、そこへ集中した芳賀流は、この教えと重なる。