古代ギリシアの哲人も「無知の無知」を喝破

前置きが長くなったが、この本が発する警告の一つは、インターネットによって、ダニング=クルーガー効果が世界を覆いつつあるということだ。あちこちで指摘されているように、インターネットの世界に耽溺すると、人は自分の見たい情報にしかアクセスしない傾向が強まっていく。

<それはまた、その他のあらゆるものに割く時間と、それに注ぐ注意をわずかなものにした。ここで見られる大きなリスクは、インターネットが、われわれの知識を乏しいものにしていたり、あるいは誤った知識をさえ与えているということではない。それはインターネットがわれわれを「メタ・イグノラント」(超無知)にしていることだった――つまり、われわれが知らないことに、自分でほとんど気がついていないということなのだ>

著者の言う「超無知」とは、ソクラテスの「無知の知」をもじっていえば「無知の無知」ということだろう。そう、知らないことさえ知らない状態だ。

それはまた、ソクラテスが当時の知恵者とされる人物たちに下した評価でもあった。

ソクラテスはじつに不思議な哲学者だ。あるとき、彼の友人がお節介にも、デルポイの神殿で「ソクラテスより知恵のある者はいないか」と尋ねた。すると、神殿にいた巫女の答えは「誰もいない」。巫女の口から出た言葉は神託、つまり神のお告げなのだから、神が「ソクラテスはいちばんの知恵者」だと請け負ったことになる。

友人からこのことを聞いたソクラテスは当惑した。自分は知恵なんかないと自覚している。なのになぜ、神は自分を指して、いちばん知恵があるなんて言うのか。その後の発想がとんでもなくユニークだ。

<そして、まったくやっとのことで、その意味を、つぎのような仕方で、たずねてみることにしたのです。それは、だれか知恵があると思われている者の一人を訪ねることだったのです。ほかはとにかく、そこへ行けば、神託を反駁して、ほら、この者のほうがわたしよりも知恵があるのです、それだのにあなたは、わたしを知者だと言われた、というふうに、託宣に向かってはっきり言うことができるだろうというわけなのです>(プラトン『ソクラテスの弁明』、田中美知太郎訳、中公クラシックス)

なんと彼は、神のお告げは間違っていることを証明するために、知恵者として知られる人物を訪ねて、問答するのだ。

ところが期待に反して、その人物は自分で知恵があると思い込んでいるけれど、そうではないことがソクラテスにはわかった。

<この男は、知らないのに何か知っているように思っているが、わたしは、知らないから、そのとおりにまた、知らないと思っている>(『ソクラテスの弁明』)

勘のいい読者はもうお気づきだろう。ソクラテスがここで言っていることは、「ダニング=クルーガー効果」と、とてもよく似ている。あのマヌケな犯罪者も「知らないのに何か知っているように思っていた」のだから。

それでもソクラテスはあきらめず、自分より知恵のある人物がいることを確かめるために、政治家や作家を次々に訪ね、問答を繰り返したものの、結果は同じだった。