「儲け第一主義」ではない

そんな時代に現れたドイツ人哲学者ニーチェの「神は死んだ」は、象徴的な言葉だ。唯一の真理を探究する従来の哲学を、真っ向から批判している。

それと同時期に、アメリカではチャールズ・パースが初めて、プラグマティズムを発表する。

「パースは、『概念』が実際にどのような効果を生み出すのかを問えば『真理』の意味がわかる、と提唱しました。たとえば、『硬い』という概念は何かを抽象的に考えていたのが従来の哲学だとすると、パースは『硬いというのは、何かにぶつけても壊れないということ』というように、どのような効果が生み出されるかを考えれば、概念の意味が明晰になると説明したのです」

米国プラグマティズムと日本的思考の違い

こうしてパースが生み出したプラグマティズムだが、本人の知名度が低かったため、すぐにはこの思想は広がらなかった。ようやくアメリカ国内で知られるようになったのは、それから10~20年後。パースの個人的な研究会に顔を出していたウィリアム・ジェームズが大きな役割を果たす。

「ジェームズはハーバード大学の教授で、世界的にも有名な学者でした。アメリカ各地で講演をするときに、パースのプラグマティズムを紹介して回ります。さらに、ジェームズの教え子たちを通して思想は受け継がれ、20世紀前半のアメリカの社会・政治・文化に影響を与えました」

こうして絶対真理を求めない哲学がアメリカでも知られるところとなるのだが、その後プラグマティズムはあいまいな哲学だと批判され、いったんは廃れる。再び頭を持ち上げてくるのが1950~60年代。

「分析哲学の大物、W・V・O・クワインが、真理とは『うまく説明できること』だと論じました。クワインによってプラグマティズムは再び脚光を浴びることになったのです」

分析哲学は、唯一の真理を探究するために論理を積み上げていく学問だ。

「さらに70年代、80年代には、リチャード・ローティがニーチェやハイデガーなどのヨーロッパ哲学を分析し、唯一の真理探究を否定している点でアメリカの哲学と似ていて、結局どちらも同じところを目指しているのだというネオ・プラグマティズムを提唱します」