裁判長は被告の目を見ない。表情を凝視する

証言台に立つ被告人の顔を傍聴席からはっきり見ることはできないが、どこを見て喋っているか想像はつく。胸を張り、顔が正面を向いているときは裁判長の顔を見ていると思われる。質問されている間は下がり気味になっている目線が、質問に答える番になるとグッと持ち上がるのがわかるからだ。

中には下がりっぱなしの被告人もいるけれど、多くは状況を説明する、反論する、謝罪する、といった重要な場面になると背筋に緊張が走り、顔を上げて答える。

気持ちを伝えるためには目を見て話すのが一番。犯行を否認するなら、裁判長を凝視しながら「やっていません」と言う。そうしないと自信なさげに見え、話の内容を信用してもらえないと弁護人からアドバイスされているかのようだ。

実際、我々は子供時代から、相手の目を見て答えなさいと指導を受け続けてきた。学校では先生の目を見て受け答えするのが礼儀正しいとされ、親に問い質されるときは「目を見て話せ」と叱り飛ばされ、部活では先輩から「言いたいことがあるならこっちを向いてはっきり言え」と睨みつけられた。

社会人になってもそれは変わらない。

相手の目を見て話すことはビジネスマナーの基本のひとつ。ことわざにも“目は心の窓”、“目は口ほどに物を言う”とあり、喜怒哀楽の感情は目に表れると考えられている。

たぶんそれは正しいのだろう。被告人は強い視線を裁判官にぶつけることで、自らの発言が真実であることを伝えようと努力するのだ。

その思いは伝わるのだろうか。

裁判官は被告人がどこを見て話そうが、表情を凝視している。真実を述べているか、確信をもって発言しているか、見極めるためである。眠そうだろうと退屈そうだろうと、わき見をする裁判官に出会ったためしがない。裁判員裁判で裁判員に選ばれた一般人6名も、最初はメモ取りに忙しいが、慣れるに従い被告人の表情を観察するようになる。

さて、結果はどうだろう。

残念ながら、否認事件で被告人の主張が認められ、無罪判決になる劇的な展開はめったにないが、深く反省していれば再犯の可能性はないと判断され、量刑の長さや執行猶予の有無で若干のメリットが見込めるかもしれない。