大和魂に従い他社でも通用する実力を持て

MBOを断行した後の05年12月、私は現在の堀雅寿社長と交代し、代表権のない会長に就任した。松陰に「天下は一人の天下」という言葉があるが、これに影響されたというわけでは決してない。

私は本来、代表取締役会長はあってはならないと考えていた。欧米のようにCEO(最高経営責任者)とCOO(最高執行責任者)が分かれているのなら納得できるが、日本ではどっちつかずの二頭政治になってしまうからだ。代表権を持つのは1人でいい。若い人のほうが力もあるし、踏ん張りもきくだろう。ただ、60歳以上でないと社会や地域貢献といった仕事はできないと考え、代表権のない会長に就任しただけである。

松陰は幕府や藩の権威を否定するために「天下は一人の天下」と主張したのだが、国家や企業を統(す)べるための決断は、1人が責任を持って行うべきであると思う。

私が好きな松陰の言葉は、処刑前の獄中で記した『留魂録(りゅうこんろく)』にある「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」という辞世である。これを私は座右の銘としているが、江戸・高輪の泉岳寺で赤穂義士に捧げた「かくすれば かくなるものと 知りながら 已(や)むに已まれぬ 大和魂」という一首も心にしみる。私は大和魂が好きなのだ。この二首を読むと、「彼は武士だなぁ」とつくづく思う。西洋のナイトが階級社会の位であるのに対し、日本の武士には清貧のイメージがある。

士農工商という身分社会とは別に、武士は“公”を象徴する存在であった。だからこそ松陰は身命を賭(と)して海外渡航を決意し、革命家、改革者であり続けようとしたのだろう。武士は道を極める者である。

私は社員に松陰の思想を語ったことはないが、「武士とはどういうものか知っているか」と聞き、「武士は食わねど高楊枝だよ」と語りかけたことはある。武士は、自分がやらねばいけないこと、自分がやってはいけないことを明確な価値観として持っていた。現代流に意訳し、「よその会社でも生きていける実力を持て」と話したこともある。松陰なら「自身の信じる大和魂に従い、当為当然の道を実行せよ」と言ったのかもしれない。

彼は過激で情熱的な理論家だが、とても人間的な人だったと思う。松下村塾の熟生への手紙で、「至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり」と孟子の言葉を引用している。至誠を信じるがゆえに、吉田松陰の周りに逸材が引き寄せられもしたが、密航や老中暗殺を企てた己の信念を敵にも語り、命を奪われてしまう。それも彼の魅力だ。つらい生き方だが、グローバルな時代に生きる経営者こそ、この覚悟を持つべきだと私は思う。

(辻 和成=構成 山口典利=撮影)