逆境で前に進むことを秀吉から学んだ
吉川英治著の『新書太閤記』を読んだのは、私が中学卒業後に働いていた日本料理店の本好きの主人が勧めてくれたのがきっかけです。40数年前、私が青雲の志に燃えていた20歳の頃で、大きな感銘を受けたものです。
秀吉の魅力は、どんな逆境でも未来を信じ、むしろ逆境をバネにし失敗を教訓にして前に進んでゆく明るさとバイタリティです。
主君である信長にどんなにひどく罵られ、ときには暴力をふるわれても、「昔の貧しさを思えばたいしたことはない」と言い切ってしまう。その信長を喪った本能寺の変も、秀吉にとっては大きなチャンスでした。そう捉えたからこそ、あれほど素早く行動して、主君の仇を討つ戦功をわがものにできたのでしょう。
振り返れば私も、逆境をむしろチャンスとして成長してきました。もちろん多くの人たちの支えがあってのことですが、本当に運が良かったと感じます。
私にとって最大の危機は、総菜事業が軌道に乗ってきた1988年に起こした「汚水流出事件」です。神戸工場の大掃除の際、基準値を超える汚水を排出してしまい、警察に摘発されてしまったのです。メディアには叩かれ、取引先からもお客様からも非難を浴び、準備していた上場の計画も頓挫しました。四面楚歌の中で私は「なんとかこれを自分の糧にできないか」と必死で考えていました。
このとき、私は企業の社会的責任や環境問題への認識が甘かったと痛感しました。そうした反省が「健康、安全、安心、環境」という今日の会社の目標につながったのです。
95年の阪神・淡路大震災では、主力であった神戸の生産拠点が被災し、大変な打撃を受けました。電力や水道も止まって操業再開のめども立たず、物質的な意味では本当に大変でしたが、私は「汚水流出事件は人災だったけれども、今回は天災。これはロック・フィールドの全社員が一致団結して未来に向かってゆくための大きなチャンスではないか」と考えました。
東京や四国、九州などの社員たちは「神戸のために私たちががんばります」と誓ってくれましたし、神戸工場の社員たちを静岡工場に連れていくと、そこで働く人たちは「私たちは寝ずにでも仕事しますから、なんでも言ってください」と温かく迎えてくれました。
工場のある村の人たちも、私たちのために進んで下宿や空いた家屋を探してくれ、私は「戦場のような中でも、みんなに支えられて生きているのだな」と深く感じ入ったものです。