勝算のない戦場では無理に戦わない

社名の「積水」とは、古代中国の思想家・孫武の作とされる『孫子』の一節、「勝者の民を戦わしむるや、積水を千仞の谿(せんじんのたに)に決するがごときは、形なり」に因んだものです。

<strong>積水化学工業社長 大久保尚武</strong>●1940年、北海道生まれ。62年東京大学法学部卒。同年、積水化学工業入社。89年取締役、93年常務、97年専務、九九年副社長を経て同年6月より現職。大学時代にボート競技の日本代表としてローマ五輪に出場。現在、日本ボート協会の会長も務める。手にしているのは創立60周年を記念し社内表彰のために製作した『孫子』の竹簡。
積水化学工業社長 大久保尚武●1940年、北海道生まれ。62年東京大学法学部卒。同年、積水化学工業入社。89年取締役、93年常務、97年専務、九九年副社長を経て同年6月より現職。大学時代にボート競技の日本代表としてローマ五輪に出場。現在、日本ボート協会の会長も務める。手にしているのは創立60周年を記念し社内表彰のために製作した『孫子』の竹簡。

弊社の起源となった日本窒素肥料は戦前、朝鮮半島の鴨緑江に巨大な水力発電所をいくつも所有していました。1947年の創業の際に「満々と水をたたえるダム」にちなみ社名としたのが由来です。62年に入社した私は、「事業というものは勢いが大切である」と教えられたこともあり、『孫子』のこの一節も「戦いには勢いが大切」といった意味だろうと考えていました。

しかし今年、創業60周年を迎えるにあたって『孫子』を再読したところ、別の解釈に気づきました。たとえば世界中で広く読まれているフランシス・ワンの『孫子』(葦書房)は「積水」の一節について「チャンスを逃さず一気に勝つためには、着々と水を積み上げていくような事前の準備が大事である」との解釈を示しています。体制づくりの要点を説いた「形篇」にこの一節があることを考えれば、たしかに「勢い」より「準備」の重要性を読み解くのが『孫子』の哲学に沿った適切な解釈のように思います。

『孫子』の哲学はきわめて現実主義です。「計篇」では「算多きは勝ち、算少なきは勝たず(勝算の高いほうが勝ち、低いほうは勝てない)」と説いています。『孫子』は兵法書ですから劣勢を挽回するような鮮やかな戦略を述べたほうが格好いいはずですが、「勝てないと思ったらやめておけ」と言う。

この戦いは勝てるものなのか。勝てないとすれば、どこに戦いの場を求めるのか。私はその判断にこそ、経営者の大きな役割があると考えています。