【飯島】富士山の立派な姿を前にすると、自分自身も「立派であらねば」という自覚が生まれるのでしょうね。しかし、営業成績トップにまでなったのに、脱サラして富士山の写真を撮るというのは勇気がありますね。残っていれば、ロッキーさんが富士ゼロックス社長になって、富士山の写真を部屋に飾っていたかもしれないのに(笑)。

【ロッキー田中】私は経営者には向いていないので、「ときめきの富士の写真家」として生きる道を選びました。1986年に退職した当時は世間の社長室から富士山の絵が消えて、現代アートのような作品が増えていました。私は、日本中の経営者のバックに私の「ときめきの富士」の写真を飾っていただくのだと誓って独立しました。

【飯島】でも、富士山の写真を撮影している人はたくさんいたでしょう。

縁起を担がない経営者に未来はない ロッキー田中○現代の北斎とされる「ときめきの富士」の写真家。富士ゼロックスに27年勤務後、写真家に転身。富士山の世界文化遺産登録にも貢献した。「ときめきの富士カレンダー」は別格とされ根強い人気がある。品川区西五反田にサロンがあり全国から人が訪れる。写真は、第99作「いのち無限」。http://www.rocky-fuji.com

【ロッキー田中】当時も今も非常に多くの方が撮影しています。しかし、富士山の写真を撮って食べている人はいなかったのです。腕が立つアマチュアでも今の仕事を捨てて富士山の写真だけで食べていくという見通しと気概はないのです。私は初めから、山岳写真とは違う人の心に響く富士山を世に出そうと決めていました 。新幹線でも飛行機でも富士山が見える側から席が埋まるように、人々が富士山を見ると嬉しくなる、勇気が出る、富士山のような人間になろうという志が湧く。これらすべてを「ときめき」という言葉に集約しました。富士山の写真家というより「ときめきの富士」の写真家です。

【飯島】なるほど。それで「ときめき」なんですか。孫子も「彼を知り己を知れば、百戦にして殆(あや)うからず」と言っていますが、写真を見る相手を知ることが重要ということですね。写真にも“軍略”が必要とはすごい。「孫子の兵法」には「地形篇」や「行軍篇」があって、戦いに有利な場所の選択がいかに重要かが書かれているのですが、富士山の撮影でも、「ここは俺が先に見つけた場所だ!」なんていう醜い場所取りの争いがありそうですね(笑)。

【ロッキー田中】プロですのでむしろ情報をオープンにして、富士山が一番いい表情を見せる時間帯と場所に立つことを指導しています。感謝の気持ちとともに。日本語には、未明~暁~曙~黎明~夜明~昇陽~早朝と、日の出の前後の変化を示す言葉がたくさんあります。この時間帯は空や大気の中の光の量で明るさが大きく変わり、色は劇的に異なります。私はその色変化を研究し尽くして「富士山が呼んでくれたら逢いにいく」という生き方を通しています。