役人時代の経験が監督業に生きる
「監督になってみて初めてわかったことがあるんです。それは(仕事でも野球でも)現場が最良の教場(教室)だなということ」
教師になる前にも、いろんなことを教えられたが、所詮、机上での事。実際に自分は高校のグラウンドでノックバットを振っていない。生徒と対話もしていない。
現場ではいろんなトラブルや壁がある。野球部では、いい新入生が入部しても、その時の3年生が、「最後の夏は1年生抜きでやりたい」と言い張ることもあった。
また選手との距離が近く話しやすい監督というのは、一方では選手からなめられるリスクもある。のびのびやらせていたら、単位を落とす生徒も出るなど、悩みは多い。
外務省ではフットワークの良さと社交的な性格が潤滑油となって仕事ははかどった。それが多くの野球人を訪ねたことや、選手たちとのコミュニケションを深めるときに生かされている。
「外務省では素早い決断力を求められました」
すんなり決着すると思われていた案件が一晩で覆ったり、世界の紛争が突如勃発して仕事に影響が出たり。それにフレキシブルに対応するには常にアンテナを広く高く張ること、またスピード感をもって対処することを求められる。