外務省で働きながら、教職の勉強

野球は趣味のひとつとして外務省のチームでプレーし、省庁大会などに出ていた。元球児として、草野球を楽しんでいたわけだが、その後のある人物との出会いが平林の人生を変える。

長崎慶一氏。大洋ホエールズ、阪神タイガースなどで選手、コーチとして活躍した人だ。その長崎氏が営む東京・新橋の焼肉屋に食事に行ったり、そこのチームと試合をしたりと交友を深める。

ある時、長崎氏が「今度、シニアチームの監督になるので、コーチにならないか」と声をかけてきた。ふらりとチームを見に行ったつもりが「その日から足立シニアのコーチになっていた」。

シニアでも曲がりなりにも「現場」だ。「高校野球の指導者になりたい」という夢がよみがえってきたという。

でも、指導者の実績はゼロに等しい。このまま声をかけられて、監督になれる道はほぼ、ない。ならば、「教師になるしか道はない」。

中大では教職を履修していなかったため、中大の聴講と日大の通信課程で教職を取った。

さらに、野球の勉強をいろいろ積むべく、知人のすすめで日大野球部の門を叩く。平林の良さは思い立ったら即、動く、ということにある。逡巡していても始まらない。とにかく一歩、踏み出すことだ。

当時の日大の鈴木博識監督(現鹿島学園)は「いつでも来いよ」と気軽に受け入れてくれた。