野球の「名将・知将」を訪ねて修行

当時の日大には松坂大輔世代が多く在籍していた。館山(現ヤクルト)、本橋(元PL学園)、井上(元明徳義塾)など、のちにドラフト指名される有力な選手たちだ。仕事が休みの週末、一緒にグラウンドを走ったり、ノックを打ったりした。

やはり日大の部員で、元PL学園の中村順司監督(現名古屋商科大総監督)の息子がいた関係で、その中村さんのもとを訪ねる。ただの公務員が、アマチュア球界の大監督のもとを訪ねて「野球を勉強したい」と。その行動力は舌を巻く。

横浜高校の松坂に夏の準決勝で敗れた明徳義塾(高知)の捕手だった井上には、今も監督を続ける明徳の馬淵監督と会わせてもらえるよう取りはからってもらった。

こうした先達からの「学び」が平林の財産だ。

田名高校は普段、サッカー部、陸上部とグラウンドを併用する。フリー打撃はマウンド付近からバックネット方向に打つ。しかも、緩く遅い投球を、だ。これは元法政大野球部の名将・五明公男監督から教えられた練習法だ。引きつけて強く降り抜く。速いボールを普通にフリーバッティングしたら調子を崩したそうで、「うちの打撃はこれで上手くいっているので」と独特な練習をメインに続けている。