東京でITコンサルをしていた岩佐大輝さんが、震災の翌日、宮城県山元町に帰って見たものは、津波で変わり果てた故郷の風景だった――。故郷のイチゴ産業を復活させなければ。そう決心した岩佐さんは、イチゴ名人の匠(たくみ)の技を、農業×ITで、超高級ブランドイチゴ「ミガキイチゴ」として復活させる。

仙台から電車で40分。宮城県山元町は東北最大のイチゴの産地だったが、2011年3月、東日本大震災で大津波に襲われ、多くの畑が流されてしまった。その山元町にITを駆使した新しい農業を持ち込み、イチゴ産業の復活を果たしたのが、1977年生まれの39歳、岩佐大輝(いわさひろき)氏である。

岩佐氏が生み出した新しい特産品は、1粒1000円で売れるという超高級果物「ミガキイチゴ」。イチゴづくりで地域に雇用を生み出すことに成功した岩佐氏は、現在はインドでイチゴ生産を行うなど海外進出に挑戦中。農業経験がなかった岩佐さんは、なぜイチゴ産業を復活させることができたのか? 田原総一朗氏と岩佐大輝氏の対談、完全版を掲載します。