【田原】空手は途中でお辞めになったけど、柔道はずっと続けたそうですね。段は持っているのですか。

【小島】一応、二段です。私が高校生のころはまだインターハイに柔道女子がなかったのですが、県ではだいたい1~2番でした。

【田原】すごいですね。柔道でオリンピックへ行こうなんて思わなかったのですか?

【小島】ちょっとは考えました(笑)。それで大学でも柔道部に入ったのですが、たまたま谷亮子選手と一緒に練習する機会があって、コテンパンにやられました。それで柔道の道はあきらめました。

【田原】そういえば、マザーハウスの山口絵理子さんはご存じですか。たしか彼女も柔道の選手だった。

【小島】じつは同じ大学だったんです。山口さんも一時期、柔道部にいたから知っています。小柄で、かわいらしい方ですよね。

【田原】山口さんも見た目からは想像できないくらいにガッツがある。女性の柔道家は、起業に向いているのかもしれませんね。ところで、大学では農業ではなく宗教の勉強をしていたそうですね。農業のほうはお休みしていたんですか。

【小島】いえ、農家になりたいという夢は変わらなかったので、農作物の卸業でアルバイトをしていました。

【田原】具体的には、どんなアルバイトですか?

【小島】最初に入ったのは社員3人の小さな会社で、レトルト食品をつくるメーカーから注文を受け、全国600人くらいの契約農家さんから農作物を提供してもらってメーカーに届ける業務をやっていました。いま自分がつくる側になってよくわかったのですが、やはり農作物が売れないと農家は成り立たない。流通のことを勉強できたことはいい経験になりました。