では、40代から教養力を高めるにはどうするか。私は「気にかけていながら遠ざけてきたもの」に挑む小さな冒険をお勧めします。

私は、57歳でドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の新訳に取り組み、これがミリオンセラーになる幸運に恵まれました。私が40代半ばまで「気にかけながら遠ざけてきたもの」が、実はこのドストエフスキーだったのです。

中学時代に読んだ『罪と罰』に衝撃を受け、大学でロシア文学を専攻した私は、ドストエフスキー研究を志しました。しかし、彼への思い入れがあまりに強いがゆえ、そのままでは研究者として立ちゆかないと考え、ドストエフスキーを捨てました。そして、当時の私にとっては未知の領域だったロシア時代の前衛芸術の研究に取り組んだのです。

その後、旧ソ連の地を訪れたことを契機に、40代はスターリン時代のソビエト研究に没頭するのですが、それが図らずもドストエフスキーとの再会を促すことになりました。スターリン政権下で迫害された芸術家たちの姿と、ロシア帝政下で反政府活動を展開し、死刑宣告まで受けたドストエフスキーが、私の中で重なり合ったのです。

40代半ばのこの再会は、大学卒業時の若く、ホットな自分との再会でもありました。かつて慣れ親しんだドストエフスキーの作品世界も、40代までのさまざまな経験の積み重ねをともなうと、また別な側面が見えてきて新鮮でした。結局それが、50代からのドストエフスキー研究、その作品翻訳へと私を導いたのです。

「気にかけながら遠ざけてきたもの」への取り組みは、何でも構わないと思います。これまで聞いたことのないジャンルの音楽を聴く、見たいと思いながら見逃してきた名作映画を見る、憧れの楽器を手にする、自分史を書いてみる、等々。

作家の島田雅彦さんによれば、普段の通勤路をちょっと変えてみるだけでも、世の中が違って見えてくるそうですが、それも小さな冒険です。要は、日常の殻をほんのちょっと破ってみる。そこに、あなたの中に潜んでいるもう1人の自分を見出せるはずです。それを楽しむことが教養を高め、個性を磨くことにつながると思います。こういう冒険はいくつからでもできる。その先に、未知なる自分がいると信じています。

東京外国語大学学長  亀山郁夫(かめやま・いくお)
1949年生まれ。東京外語大卒、東京大学大学院博士課程単位取得退学。2007年より現職。新訳『カラマーゾフの兄弟』はじめドストエフスキー研究、旧ソ連の政治・芸術関連の著作がある。
(構成=高橋盛男 撮影=永井 浩)
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