進行がん患者のCさんに、あるときこう言われたことがあります。
「標準治療だとデータが出揃っています。だから、いったんそれを選んでしまうと、“レールに乗ってしまう”気がして恐いのです」
川崎市立井田病院・かわさき総合ケアセンター医師 西 智弘氏

確かに、がんは部位ごとに、それぞれの治療法の治癒率から副作用の発生率まで、さまざまな数値が公表されています。それらのデータは、確かに透明性を担保してくれます。それをCさんは「(確率論で割り切れる)レールに乗ってしまう」と表現してくれたのでしょう。

その気持ちを推しはかって言えば、「データに裏打ちされた次元とは別の、偶発的な出来事に恵まれる可能性のあるところに居続けたい」。そのような気持ちが、Cさんの心の奥底にあったのかもしれません。けれども私はその痛切な言葉を耳にして、「そういう心理になることもあるのだ」と興味深く思いました。医師として、そのような患者さんの心理に触れられたのは貴重な経験です。

現代の医療の現場では「EBM」(Evidence Based Medicine)という言葉が盛んに言われます。「臨床結果に基づいた根拠のある医療」ということです。一定量以上の客観的なデータや、学会誌や医学雑誌に発表されるような根拠を重視する姿勢のことです。

私たち医師は、EBMを第一に考えるように教えられ、自身を科学的たらんとして訓練し続けています。