本居宣長記念館には、見事な筆による写本や、勉強のために読んだ書籍への詳細な書き込みなど、本居宣長という人の幅広い教養を感じさせる資料がたくさんあるが、なかでも圧巻なのは、19歳のときに作成したという「端原氏城下画図」だろう。
この、架空の城下町を描いた地図は、想像力を駆使してディテールまで描き込まれ、宣長が現実から離れたファンタジーの世界に遊ぶ人でもあったということを示す。
本居宣長の生涯から見えてくる「成功の方程式」。それは、幅広い教養を身につけた人が、一つの事業に集中したときにこそ、初めて「遠く」まで行けるということだろう。
「松阪の一夜」で、師の賀茂真淵に出会って以来、学問に志した宣長。『古事記伝』は一大事業であったが、その成功は、幅広い教養という「裾野」を背景に、思い切った「選択と集中」をした結果。
器用貧乏でもいけない。狭すぎてもいけない。幅広さを基礎に、徹底的に絞り込まなくてはいけない。
江戸時代には、松阪のような地方の小都市にこそ、最高の知識人がいたという事実も、今後の日本のあり方を考えるうえで、忘れてはならない事実だと思う。