このところ、世界中で、日本のローカル文化の人気が凄まじい。

横綱は第68代・朝青龍以降、白鵬、日馬富士(写真)、鶴竜と、全員がモンゴル出身。(写真=時事通信フォト)

日本の独自の文化が、「ガラパゴス」だと揶揄されていたのは、つい最近のこと。もちろん、たとえば大学における教育のあり方を世界的に通用する水準に引き上げる必要性は今でも変わっていないが、「日本ローカル」を取り囲む環境は、明らかに潮目が変わった。

大相撲は日本人の間でもブームだが、両国国技館に行くと、外国からのお客さんが大変多い。皆、目を輝かせて、土俵上を熱心に見つめている。

考えてみれば、大相撲ほど、この時代にローカルに徹している文化はない。その土俵は、伝統のかたまり。髷やまわしといった力士の出で立ちや、行司や呼び出しの服装も、昔ながら。塩をまいたり、四股を踏んだりといった所作も、古来変わらない。

むしろ、相撲があまりにも日本的だからこそ、外国からのお客さんの興味を刺激し、いわば、「プレミアム」なコンテンツとして、大人気を博しているのであろう。

グローバル化は、世界の各地が同じ色に染まっていくということではない。地球が狭くなって行き来するからこそ、ローカルなコンテンツに対する需要が増していく。大相撲は、その好例だ。

一方で、サッカーのように、世界の多くの地域で愛好されているスポーツもある。これからのグローバル化は、サッカーのような普遍と、大相撲のようなローカルが並び立っていくのだろう。

ところで、ローカルな文化のすべてが輝くわけではない。大学における学問のように、「ガラパゴス」では限界がある分野もある。