手軽な入門書にとどまらず、“本物”を読む
いま売れている仏教書は、いってみれば入門書です。それだけを読んで腹落ちするまで深く理解するのは、正直難しいと言わざるをえません。興味をもったらぜひ原典に当たってほしいと思います。
15年以上前になりますが、中国・杭州の浙江大学の大学院で、1週間ほど保険の講義をしたときのことです。大学院のある先生が自分のアパートに私を招待してくれました。小学生の娘さんがいらしたのですが、突然のことだったので私は土産の用意がなく、仕方がないのでそのときは、「次は必ずお土産をもってくるからほしいものを教えて」と尋ねると、彼女からはこんな答えが返ってきたのです。
「ハローキティの本物がほしい」
彼女はハローキティが大好きで、部屋にもたくさん飾ってありました。しかし、それらはみな中国製の偽ブランドです。それでもこれだけ心を惹かれるのだから、本物はどれほど魅力的なのか実際に見てみたいと、ずっと思っていたのでしょう。
禅なら岩波文庫などの『臨済録』、あるいは岩波書店「書物誕生」シリーズの『臨済録』といった“本物”を読み込み、そこに書かれていることをとことん考えてみる。それが腹落ちの第一歩です。
奇しくもその『臨済録』にはこうあります。
「即心是仏――心そのままが仏である」
結局、自分の腹に落ちたものだけが、自分が心から信じられる仏なのです。
そして、その仏に出会うには、自分の頭で徹底的に考えるしかない。元東大全共闘議長で物理学者の山本義隆氏もこう言っています。
「専門のことであろうが、専門外のことであろうが、要するにものごとを自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を表明できるようになるため。たったそれだけのことです。そのために勉強するのです」
みなさんが自分の頭で考え、腹落ちして自ら行動を起こすようになれば、そのときこそ、この国の未来はかぎりなく明るくなると思います。
お坊さんの本がぜひそのきっかけになってほしいものです。