その芸術性はというと、例えば平壌の地下鉄駅構内などの美しさは見る人の目を十分に楽しませる水準にある。ロシアの地下鉄を利用された方なら、各駅構内の壮麗な内装に驚かれたはずだが、それと同じような水準にある。電車は古いのに駅は壮麗。機能より芸術性を重視する傾向は、社会主義国家の共通点といえるだろう。
銅像ビジネスのニーズは現在のところ健在だ。少なくともアフリカ諸国が毎年数件単位で発注していることは確かである。銅像の需要はもともと社会主義国家や独裁国家に多い。アフリカには表面的には民主化を果たしても、内実は独裁国家という国も少なくない。ヨーロッパ諸国はアフリカへの援助の条件に、民主化や人道主義を求めるため、表面上民主化を装いながらも、ウガンダのように民主化して選挙を行いながら、大統領は20年間代わっていないという国も多いのだ。そのような独裁的な国は指導者の権力を誇示するために街中に巨大な銅像を建てたがるものだ。また名実ともに民主化を果たした国も、今度はその民主化、独立の功労者を称える銅像を建てる必要に駆られる。社会不安や不況、高失業率などの国民の不満のはけ口として、ナショナリズムを高揚させるために銅像は必要となる。
北朝鮮がこれまで制作した銅像で最大規模のものは、2010年に完成したセネガルのアフリカ・ルネサンスの像だが、高さ約50メートルで自由の女神より高いこの銅像は、「アフリカの復興」というその名の通り、虐げられてきた黒人を称える像として空高く威容を誇っている。その他トーゴやコンゴ、ナミビアでつくられた銅像も、独立運動家や初代大統領といった英雄像である。またインフラが未整備な国では、新しく国会議事堂などの施設を建設する必要もある。それらの発注先として北朝鮮が注目されているのだ。