「健康こそが最大の資本」という意味
いまでも強烈な記憶になっているのが、バブル崩壊直後に起きた当社の為替差損事件である。85年のプラザ合意を機に、対ドル円相場は円高が急激に進行していた。事件の直前には1ドル=120円前後にまでなっていたと思う。ところが当社は、円安を想定したポジションを張っていたからたまらない。そんなおり、土曜日だったが千葉の自宅の電話が鳴り、常務から「すぐに本社に来い!」と呼び出しがかかった。到着して聞いたのは、累積で1500億円にもなろうという為替差損だ。
常務は「どうやら新聞が記事にする。これだけの巨額損失が明るみに出ると、会社にとって危機的な状況なる」とつぶやく。当時、一介の管理職でしかなかった私を信用して、打ち明けてくれたのだ。そして用意されていた彼なりの対応策に集中した。手持ちの株式を売り、売却益で損失をカバー。結果として、自己資本はさほど毀損しなかった。
そんな戦友のような上司が、他界してしまう。シンガポールへの出張に同行した際、しきりに「疲れた」と口にする。普段から頑健を自負している彼だけに、私もさほど心配はしなかった。けれども、帰国便で成田に着いたときには歩くことさえ困難になっていた。迎えの車でそのまま病院に直行したが、診断は急性白血病。
何度目かの見舞いで聞いた彼の言葉が耳から消えない。病室から通りを見るとホームレスの人が歩いている。「香藤、あの人はいいなあ。家や財産はなくても元気だ。俺は恵まれた環境にいるかもしれないが、一番大事な健康を損ねてしまった……」ともらした。私も彼の回復と経営現場への復帰を心から祈っていたが、不帰の客となってしまう。頼りにしていた後ろ盾を失った私は、間をおかず、慣れない仙台支店に配属されることになる。
1947年、広島県生まれ。県立広島観音高校、中央大学法学部卒。70年シェル石油(現昭和シェル石油)入社。2001年取締役。常務、専務を経て、06年代表取締役副会長。09年会長。13年3月よりグループCEO兼務。