【冨山】そういうことを考えるのが、うれしくてたまらなかったのだろうし、それが思いどおりになることが、人生最高の快感だったのでしょう。

【松平】たとえば、中国大返し。

【冨山】たぶんエクスタシーの極致です。

【數土】自分の思い描いたとおりになることが、自分自身が大きくなるよりも、彼にとっては大事だったのです。

【松平】しかし18年後、「関ヶ原」をよそに官兵衛は全財産を放出して9000人の兵を集め九州で決起します。これをみると、やっぱりどこかに確固たる天下への野心があったような気がするのですが。

【數土】あったとすれば野心ではなく、平和な世の中を早くつくろうという志でしょう。そういう考えもあってもいいじゃないですか。

【冨山】戦乱の世を終わらせて平和で安定した国をつくるには、誰がふさわしいかということは考えていたと思います。彼はそういう大義の下で知略を発揮できれば満足だった。ただ、最後の最後に家康と自分を比較して「俺のほうが上なんじゃないか」と思っていた可能性はありますね。

【數土】私はまたちょっと違う。彼はやはり如水という名前をつけたときにリタイアしたのです。軍師というのは、権力であれ名誉であれ、欲を起こしたら身の破滅だということを、古典でよく知っていたのだと思います。

それに、もし官兵衛が自分で天下をとろうと思っていたのだとしたら、妻妾をつくって子どもを何人も残していたはずです。あるいは、秀吉や家康と婚姻関係を結んでいたでしょう。それをしなかったのですから、やはりそういう野心はなかったといえます。

【冨山】いまだって、創業時には社会の役に立つ事業をやっていきたいというようなきれいごとを言っていながら、会社が大きくなると、結局自分の身内を後継者にして、一族郎党の資産の最大化を図ろうとするような経営者が圧倒的に多いのですから、その点は數土さんに賛成です。それに、信長も家康も隷属関係をつくろうとするから婚姻を使ったり、自分の子どもをあちこちに出したりするのですが、どうもそういう隷属的なものを、この人は嫌っていた節があります。