用兵の妙は苦しい戦いを経たのちに生まれる

津田は持ち前の速球で勝負に出た。初球は内角だったが、外れてボール。すると、広島の捕手、達川が工藤にねちねち絡んだ。12回表に工藤から死球を受けていたからにほかならない。

工藤は、達川の小言を聞きながら、

「2球目も、内角にちがいない」

と確信した。

名古屋電気高(現・愛工大名電)時代から、バッティングは嫌いではなく、内角球はむしろ得意にしていた。

はたせるかな、その内角球がきた。思い切りバットを振ると、打球は鋭いライナーでライト線を抜け、二塁走者の辻が生還。西武が2対1でサヨナラ勝ちを収めた。

森はわたしにしみじみ語った。

「4戦までも試合内容は悪くなかったから、一つ勝てば流れを変える自信があった。1引き分け3連敗と窮地に陥り、みんなはあきらめていたかもしれんが、ぼくは望みを捨てていなかったよ」

工藤の一打でシリーズの流れが変わった。第6戦(広島市民球場)は渡辺(6回)、工藤(3回)と継投し、3対1。第7戦も、松沼博久から郭泰源とリレーし、同じく3対1で快勝。

1引き分け3勝3敗になり、日本シリーズは史上初の第8戦に突入した。

3回裏、先発の東尾が9番・金石明人(投手)に2ランを浴びたが、6回表、6番・秋山が2ランを打ち返し、同点。さらに、8回表、7番・ブコビッチ(右翼手)がセンターオーバーのタイムリー二塁打をかっ飛ばし、3対2とリード。

守っては、左打者の小早川から始まる4回裏だけ左キラーの永射保を投入。あとは渡辺、工藤という、いわゆるダブルストッパーで逃げ切り、森は監督として初めての日本一を達成した。

このとき、森は名言を吐いている。

「用兵の妙というのは、小手先の采配からは絶対に生まれない。苦しい戦いを経たのちに生まれる人間の智慧である。新しいことを生み出すのは、古今東西を問わず、苦しみぬいた人間だ」

日本シリーズのMVPは、1勝2セーブの工藤が選ばれた。工藤はシーズン開幕前、左肩痛を訴え、二軍からスタート。ペナントレースの成績は11勝5敗にとどまっていただけに、うれしいMVPであった。

工藤は翌年の王巨人との日本シリーズも、2勝1セーブでMVPに輝いた。彼は大舞台にめっぽう強いピッチャーだったが、気分屋の性格で、当時流行した「新人類」の代表選手と呼ばれた。