「工藤を救ってやってくれないか」
1988年のシーズンには、こんなことがあった。近鉄との一騎打ちになり、終盤戦に入り、首位の座がめまぐるしく変わった。優勝に向け、森は投手陣に対し、非常事態を宣言。ローテーションを崩すのもやむなしと伝えた。
工藤に対しても、
「中三日で投げてくれ」
と指令を発した。
ところが、工藤はへそを曲げ、報道陣にこう吐き捨てたのである。
「冗談じゃない。中三日で投げたら、肩が壊れちゃう。ことしは優勝しなくたっていいんだ。選手生活は長いんだから」
一部の新聞が工藤のコメントに飛びつき、“爆弾発言”と大々的に報じた。
優勝がかかった大事な時期だけに、蜂の巣をつついたような騒ぎに発展した。最初は真偽のほどを疑ったナインだったが、事実だとわかると、一斉に反発した。いきおい工藤はチーム内で孤立した。
森は頭を抱えた。工藤発言の中身もさることながら、チームの連帯感にヒビが入ることを恐れた。森は何よりも和の乱れを嫌う指揮官だった。
森は選手を緊急招集した。
「どんな選手にも間違いはある。工藤が悪いのは確かだが、マスコミの報道にも脚色が皆無ではないだろう。だから、ここはみんなに頼みたい。工藤を救ってやってくれないか」
森の言葉にすぐさま反応したのが、チームリーダーの石毛であった。石毛は工藤に直接会い、説得にあたった。すると、工藤は素直に謝罪し、反省の弁を述べた。
工藤は森のもとを訪れ、頭を下げている。
「お騒がせしてすみませんでした。ほんの軽い気持ちで喋ったことが大きく取り上げられてしまい、申し訳ありません。ぼくは中三日で投げます。ですから、郭泰源を休ませてやってください」
郭は肘に爆弾を抱えており、中4日ないしは中5日おかないと投げられなかったからである。
災いが転じて福となった。その後、工藤は中三日でフル回転し、西武はペナントを手にするのである。2位近鉄とはゲーム差なしで、勝率が2厘差上回る5割8分9厘。文字どおり、紙一重の優勝であった。
森は工藤を救い、なおかつリーグ優勝をはたし、日本シリーズでも星野中日を4勝1敗で下し、3年連続日本一を達成した。
工藤の“爆弾発言”は前任者の広岡達朗だったならば、絶対に許さなかったであろう。罰金を命じ、即座にファーム落ちを命じたににちがいない。
「工藤を救ってやってくれ」
森のセリフは、打たれても打たれても辛抱強く投手をリードする捕手出身者ならでは言葉である。
現役時代、森の口癖はこうだった。
「1点取られたら、2点取られないようにし、2点奪われたら、3点奪われないようにする。それが捕手の仕事なんだ」
785勝583敗68引き分け 勝率5割7分4厘
(文中敬称略)※毎週日曜更新。次回、西本幸雄監督