赤字事業から撤退するときに、他社と組んで合弁会社などをつくり、本体から切り離していくのが日立の得意技だ。たとえば半導体事業はエルピーダメモリやルネサス エレクトロニクスという合弁会社をつくり、徐々に撤退した。ディスプレー事業でいえばパナソニックと合弁会社をつくったり、ソニー、東芝、日立の3社のディスプレー事業を統合して設立されたジャパンディスプレイに事業譲渡して、最終的には撤退している。

このやり方ならレイオフしないで本体から人を減らせるし、赤字も減らせるというわけだ。一方で儲かっているグループ会社を完全子会社化したり、子会社同士を統合させて事業の集約化を進めてきた。

10年には日立ソフトウェアエンジニアリング、日立システムアンドサービス、日立情報システムズの情報システム3社と、民生用リチウム電池の日立マクセル、電力・産業システム部門の日立プラントテクノロジーの上場会社5社をTOBで、完全子会社化した(日立マクセルは再度切り離して今年3月18日に再上場)。子会社の独立心の強さが日立の特徴で、非効率な事業重複の原因になっていたが、これで改革の風穴が開いた。

13年、本体の主導でグループの中核企業の一つである日立金属が、これまた中核的な存在だった日立電線を吸収合併した。業績好調な日立金属に赤字続きの日立電線を呑み込ませた形だ。これなら売り上げを確保したまま、赤字を解消できる。医療機器の日立メディコもアロカを完全小会社化したうえで本体の日立製作所がTOBを実施し、14年2月に完全子会社化した。

このように不採算部門のリストラと利益を挙げている子会社を取り込む形で日立の(見かけ上の)再建は行われた。川村改革で多少は筋肉質な体になったかもしれないが、これから先に売り上げを伸ばしながら好調を持続できる要素があるのかと問われたら、イエスと即答はできない。事業そのものの世界展開や有望な新規事業を生み出しているわけではないからだ。