集団的自衛権の限定的な行使容認は妥協の産物

2014年7月1日、政府は憲法解釈を変更して集団的自衛権の限定的な行使容認を閣議決定した。

「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」と題されたその内容は、閣議決定を急ぎたい安倍晋三首相の意向を受けた自民党と、時間をかけて慎重に議論したい公明党との与党協議で捻り出された妥協の産物であり、意味不明なことになっている。

閣議決定によれば、集団的自衛権の行使の概要は、

(1)日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃で日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある。

(2)国民を守るために他に適当な手段がない。

(3)必要最小限度の実力の行使。

以上の3つの要件に該当する場合に限り、自衛措置として憲法上許されるという。

閣議後の記者会見で安倍首相は、

「外国を守るための武力行使は今後ともない。日本が外国の戦争に巻き込まれることは断じてない」

と述べた。

要するに自衛のためにしか武力は行使しないというわけだが、閣議決定には自衛隊の具体的な行動範囲は示されていない。どういう場面で集団的自衛権を行使するかは、時の政権の総合的な判断に委ねられているのだ。

今回の閣議決定の肝になった「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」が定義されていないのも大いに問題だ。「明白な危険」とは何か。

湾岸戦争やアフガン紛争では、ホルムズ海峡が脅かされて石油がストップすれば日本は危機的状況に陥るというシーレーン(海上交通路)防衛を根拠に、自衛隊の派遣と多国籍軍の後方支援活動が正当化された。同じ理屈で集団的自衛権を行使すれば、今度は自衛隊を戦闘員として戦闘地域に送り込むことができるのである。

たとえば友好国のアメリカが対テロ戦争で被害を被った後に、テロリストがツイッターやブログで「次の標的は日本」と呟けば、それだけで「明白な危機」になりうるのだ。