「生意気」な部下に新機軸を託す
2006年、今度は営業全般の責任者である酒類本部長となる。「社長の座に一番近い」とされる職だ。当時、発泡酒や「第三のビール」が次々に登場し、発泡酒では劣勢だった。「スーパードライ」が強いがゆえに、どうしてもそこに寄りかかってしまう。その惰性を切ろうと、考え抜いた答えは「人」だった。
広報部時代に、お客さま生活文化研究所をつくり、自社のお客が生活者として社会のどんな位置にいて、どういう生活をしているのか、を分析させた。担当には、データの扱いが得意で、面白い発想の持ち主だったが、社内で「生意気扱い」されていた技術系の男性をもってきた。
狙いは当たり、ヒットを連発した。研究所で10年、「もし、俺がやるとしたら」の視点で考え続けてきた資産を持っていたのだろう。新しい歴史を刻むには、「人」の評価基準も新たにしなければいけない。
「自我作古」(我より古(いにしえ)を作(な)す)――古くからの例にとらわれず、自ら新たな例を創って後の手本とする、との意味で、中国の古典『宋史』にある言葉。何も考えずに事務的作業を繰り返すだけの組織を解体し、経営の参謀部隊に生まれ変わらせ、社員の長所を見逃す古い評価観を覆した泉谷流は、この教えと重なる。
社長になっても、比重を置くのは「人」だ。変えるべきことも変えられない人間が多く、「自我作古」ができる人間は少ない。そんな人材を見出すには、若いときからよくみておかないといけない。ポイントは、ヒットを連発した技術者のように、いつも「こういう立場になったら、こうしよう」「自分がトップだったらどうするか」との観点で仕事をしているかだ。大群の中で迎合して生きる人間はみえにくいが、群れに反して主張を貫く人間はみえやすい。そういう人間は、覚えておく。自分なりの主張をして抵抗したり、社長にも堂々と「違います」と言った人間も、忘れない。結局、そういうタイプにしか、変革はできない。