石川さゆりに聞き入り、田端義夫を歌った!

翌朝、訪問入浴のスタッフは約束の午前10時30分の少し前にやってきました。

メンバーは男性2人、女性2人の4人。通常の訪問入浴は3人で、うちひとりは看護師というメンバー構成だそうですが、今回は初回でサービスの説明や契約書の取り交わしがあるので、チームリーダーの男性がついてきたとのことでした。

また、訪問入浴チームの来訪に合わせて、ケアマネージャーもやってきました。初回の介護サービスには極力同席するようにしているそうです。

父の寝室でスタッフが入浴の準備をしている間、私は別室でサービスの説明を聞き、契約を行うことになりました。

説明は事業所の概要から始まり、サービス提供時間、利用料金とその支払い方法、また事故が発生した時の対応や、苦情がある場合の窓口まで多岐に渡りました。

サービスする相手は体の弱った老人であって、いつ何が起こるか分かりません。サービス中にトラブルが生じ、クレームや訴訟沙汰につながることもあるのでしょう。そうしたゴタゴタが起きないよう、前もって起こり得る事態を想定し、それに対する同意を利用者の家族から取っておくようです。

契約書も同様で、契約の目的から始まり、利用者側の解約権、会社側の解約権、損害賠償など16条もの事項があって、それをすべて了解したうえで署名捺印することになります。こうした書類への同意があってはじめてサービスの提供ができ介護保険からの報酬が受けられるわけです。何十もの項目を読んでいくうちに、改めて介護サービス事業の大変さや難しさが感じられました。

トータルすれば10ページ以上の説明書や契約書に目を通し、必要な個所への署名捺印を終えるまでに30分近くかかりました。契約が完了し、父の入浴の様子を見ようと寝室まで行くと、そこには想定外の光景が広がっていました。

寝室のドアを開けると、女性スタッフが歌を歌っていたのです。

石川さゆりの「津軽海峡冬景色」――。父は湯に浸かりながら、それを聴いていました。女性スタッフはワンフレーズ歌い終わると、「お父さんからリクエストされたんです」と私に言い、父には「気に入っていただけましたか」と聞きました。

それを引き取るように看護師さんが「さっきはお父さんも一曲歌われたんですよ。田端義夫でしたっけ」と言うと、父は照れたような笑いを浮かべました。

「父が歌を歌い、笑った!」

私は心の中で喝采をあげました。父は寝たきり状態になってから2週間ほど、一度も笑顔を見せたことはありませんでした。落ち込んで何をする気力もなく、訪問介護入浴にも前向きではなかった。その父が……。私が契約を交わしていた30分ほどにいったい何があったというのか。(以下、次回)

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