沈鬱だった父が、目尻を下げて笑った

初めて訪問入浴のサービスを受ける日の朝、父は沈んだ表情をしていました。

本人にしたら、いい大人が赤の他人に裸にされ、体を委ねることに対する抵抗感や緊張があったのでしょう。そんな父の気持ちを和らげ支えるために、私はサービス中はそばについているつもりでした。

が、サービスを受けるに当たって、別室での了解事項の説明や契約書の署名捺印などに30分あまりがかかり、それはかないませんでした。ですから契約の手続きが終わると、急いで父の様子を見に行ったわけです。

「入浴を拒絶し、迷惑をかけているかもしれない」

ところが、前回記したように、父が入浴サービスを受けている寝室は思いがけないほど明るい雰囲気に包まれており、沈鬱そのものだった父は信じられないことに笑顔さえ見せていました。

この「空白の30分間」でいったいどのようなことが行われていたのか。

2回目以降に見た訪問入浴の様子を加えると次のようになります。

男性スタッフはまず、2分割された浴槽を部屋に運び入れ、シートを敷いた上でそれをひとつに組み立てます。その他、介護入浴に必要な機材を取りつけると、次は給湯。水道から水をホースでクルマの湯沸かし器に送り込み、沸いた湯をポンプで浴槽に注ぎ込みました。

この時、好みの湯加減を父に聞いていたので湯温調節もできるようです。こうしている間、女性スタッフはベッドの手すりを外したり、使用するタオルや石けん、シャンプーなどの準備。看護師さんは「ご気分はいかがですか」と聞きながら、血圧、脈拍、体温などを測ります。

湯がたまるまで、3人のスタッフは明るく大きな声で父に語りかけを続けます。

「私の名前、覚えてます?」 

覚えているわけがないので父が口ごもると、

「○○ですよ。長いお付き合いになるんだから覚えてくださいね。こっちの男性は〇〇というんですけど、男は覚えなくていいか…」

こんな感じで笑いを交えて、にぎやかで温かい雰囲気を作っていくのです。