人間関係や本人の名誉が棄損される

「ご両親が心配されているように躁状態になっていると思われます」

付き添いの父親に向かって言うと、

「最近は私たちにも大きな声で怒ってきたり、壁やドアを蹴ったりするんです。家には置いておけないです」と肩を落とす。「私生活にもかなり影響(※7)が出ていますし、病状によって彼女の名誉が大きく毀損きそんしていると思われます。君島さん、入院しましょう」

機嫌よく歌っていた彼女の表情が曇る。

「ドクター! こんなに元気で入院する必要あります? 私ふだんからよくしゃべるんです。ドクターはふだんの私を知らないですよね。じゃあ異常かどうかなんてわからないじゃないですか⁉」

躁状態の本人は「自分は絶好調だ」と思い込んでいるが、このまま放っておけば、彼女の人間関係はどんどん壊れていく。外来治療では難しいと判断し、入院治療に踏み切ることとした。

※7 私生活にもかなり影響
一晩で貯金を使い果たしたり、知人・友人にのべつ幕なしに電話をかけ続けて信頼を粉砕したりする。職場では起業を宣言して退職届を出したり、家族に暴言を吐き配偶者に離婚届を突き付けたりする。私生活について全方位的に壊滅的影響を与える。

「あの人、どうにかして」

君島さんの入院から1週間がすぎた。まずは以前から使用していた抗精神病薬を再開したものの、躁状態はなかなか良くならなかった。

左手に薬、右手にカップを持つ手
写真=iStock.com/kukai
※写真はイメージです

「ドクター、待ってました!」

診察室に入るなり、彼女は弾けるような声でそう叫んだ。目(※8)は大きく見開かれ、黒目が異様に潤み、まばたきの回数は極端に少ない。手に持ったONE OK ROCKのタオルを、まるでライブ会場にいるかのように頭上で振り回している。

「退院するにはドクターの話が必要だって聞いて。ドクターが現れた瞬間、後光が差したような気持ちでした!」

タオルを振り回しながら、私が席に腰を下ろす前から話し続ける。相変わらず多弁だ。

「君島さんは今の状態で退院できるとお考えですか?」

「もちろん! だって、こんな元気なんですよ~!」

そう言いながら、芝居がかった表情で持っているタオルをターバン状に髪に巻きだす。以前の彼女ならわきまえているはずの礼節はタガが外れて消し飛んでいる。

「状況に応じた振る舞いができていないのは躁状態が続いている証拠だと思います」

「でも薬のおかげで体がだいぶ動くようになったんですよ。テニスのサーブとかできるようになりました。ちょっとフォーム見てもらっていいですか?」

突然立ち上がり、右手にラケットを持っているように構え、サーブの素振りだ。

「どうですか? 動けてます?」

「動けてはいると思います」

「でしょ? 私って才能ありません? いつか大坂なおみさんと試合したいんですよね。今なら互角に戦える、いや、もしかしたらワンチャン勝てるかも!」

今度はジャンプしつつスマッシュの練習をしている。

君島さんはハイテンションのまま、病棟中の患者に片っ端から話しかける。ほかの患者からも「あの人どうにかして」と看護師にクレームが入っていた。本人にとっても躁状態は早く落ち着かせたほうがいい。躁状態が長く続けば続くほど、その後にやってくるうつの波は大きくなるからだ。

※8 目
躁状態の目は、剥き出しの神経が発光しているような異様な輝きを放つ。同様に、薬物中毒でキマっている患者の目も「ここではないどこか」を彷徨うように無機質な光を宿していたりする。日記シリーズのイラストレーター・伊波二郎さんが本書のカバーに描いてくれたような“目”である。