精神科に対する誤解
20代の君島さんは双極性障害(※2)の躁状態で入院し、入院中にうつ状態に移行した。
当初は希死念慮が出るほど重症だったが、薬物治療で徐々に回復を示し、本人の強い希望もあり、2週間前に退院した。
しかし、退院後の初回外来で睡眠が不安定になっており、薬の調整をし、毎週の通院を指示したところだった。つい5日前の外来での会話が脳裏に蘇る。
「お家うちでちゃんと休めそうですか? もし状態が悪いようなら、また入院してもらったほうがいいかもしれません」
「いえ、病院は窮屈だし、かえってストレスになるから、家でがんばります」
あのとき、もっと強く、無理にでも入院を勧めるべきではなかったか。君島さんと付き添いのお父さんの顔が浮かんで自責の念に囚われる。
私は、関東地方Ⅹ県にある精神科救急病院で10年以上勤務している精神科医だ。
かつて外科医だったころ、精神科は死からもっとも遠い診療科だと考えていた。
いくら心を病んだとしても、それが直接心肺機能を止めることはないからだ。しかし、それは思い違いだった。
※2 双極性障害
異常に高揚する「躁状態」と、激しく落ち込む「うつ状態」を繰り返す精神疾患。かつて「躁うつ病」と呼ばれ、生涯有病率は約0.5〜1%。広末涼子氏、こっちのけんと氏、海外でもセレーナ・ゴメスやマライア・キャリーといった著名人が本疾患にかかっていることを公表している。こうしたことで、患者が勇気づけられたり、病気への理解が進んでくれる、と精神科医としては前向きに捉えている。
患者の自死をもっとも経験する科
20~30代の死因の1位は自殺だ。その大半が、自殺直前に精神科を受診すれば何かしらの診断が下る精神状態だとされる。つまり、精神科は若者の死をもっとも身近で経験する診療科なのだ。実際に十数年に及ぶ精神科勤務の中で何名もの患者の自死に接してきた。
精神科医は診療を通して、患者の生い立ちや家族関係、その歴史を知りつくす。そうして深く関わった患者が、一瞬にして命を絶ち、築き上げてきた関係が寸断される。その中にはいくつかの「自分がなんとかできた」死がある。後悔は何年にもわたって続く。
私の勤める精神科病院は、重症患者の入院施設を併設する。わかりやすくいえば閉鎖病棟だ。朝から晩まで奇声をあげ続ける統合失調症の人、数十年にわたって入院し意思疎通が困難になった認知症の人、アルコール依存症、双極性障害、うつ病……ここにいるのは、いずれも重症の患者ばかりだ。
本書では、彼ら彼女らとのやりとりを中心に、精神科のきれいごとでは済まないリアルを描く。医療現場の問題は正論だけで片付けられないし、精神疾患に無力感を突き付けられることも多い。そこには最近流行っている精神科マンガでは語られることのない、生々しい現実がある。
精神疾患に対する偏見・差別は根深い。その意識は私がどうがんばろうともなくすことはできないだろう。それでも、私が体験した出来事(※3)を包み隠さず伝えることで「精神科とはどんなところか」「精神疾患に苦しむ患者はどんな人たちか」という事実を知ってもらうこと(※4)ができるはずだ。
人は“知らないもの”に対して、必要以上に恐怖を抱き、偏った見方をしてしまう。本書を通じて、精神疾患の世界についての思い込みや決めつけを少しでも解消できたらと願っている。
※3 私が体験した出来事
本文はすべて私の実体験をもとにしている。ただ、医師には「業務上知り得た情報を口外してはならない」という守秘義務が課せられているため、病院名・登場人物名はすべて仮名とし、患者のエピソードについてはさまざまな症例を組み合わせ、また一部に脚色を加え、人物の特定が不可能となるように配慮した。
※4 事実を知ってもらうこと
私はまだまだ未熟な精神科医だ。医学的な説明に誤りが紛れている可能性も否定できない。とくに患者や家族の方は、本書を医学書の代わりにせず、気になる点があれば主治医に確認していただきたい。

