年をとると、体がとても正直になる

お酒についても、ずいぶん変わりました。若いころは、みんなで集まれば飲むのが当たり前。疲れていても、元気を出すために一杯、ということもあったわ。でも、年をとると、体がとても正直になってきてね。

「今日は飲まないほうがいい」

そういう日には、ちゃんと飲みたくならないのよ。家にはワインもあるし、専用のグラスもあります。でも、飲みたいと思わない日は、そのまま手を伸ばさないの。それでなんの問題もないわ。

これは、衰えじゃないのよね。自然な変化なのよ。無理に元気を出そうとして、体の声を無視するほうが、ちょっと危険かもしれないわ。自然に任せているほうが、結果的に元気でいられるんじゃないかな。そんなふうに感じているの。

本を読んでリラックスするシニア女性
写真=iStock.com/Rockaa
※写真はイメージです

自分の体も、少しずつ変わってきました。思うように動かない日もあります。でも、「もうダメだ」と思うほどではないんです。

ちゃんと歩ける。ちゃんと考えられる。ちゃんと笑える。それだけで、もう合格点です。

指一本、動けば、億万長者の私たち。

小さな朝と夕方の習慣が、一日を支える

わたしは、朝と夕方に来てくれる「家庭教師」がいるつもりで暮らしています。もちろん、実在の家庭教師ではなく、「自分で決めた時間割」なの。朝の家庭教師は「ジェームス」。夕方の家庭教師も「ジェームス」。

ある人から、「その人の名前は?」と聞かれたとき、咄嗟にそう答えてしまったので、もう引っ込みがつかない(笑)。「今日も、朝と夕方、ジェームスが来るからね」と自分にいい聞かせて、朝は体操やストレッチ、洗い物、猫にごはん。夕方は片づけと、少しの仕事。

そうやって、毎日ちょっとずつ、同じようでいて少し違う一日を積み重ねているわ。ベッドで手を合わせるのも、その1つです。

わたしのベッドの周りには、本と猫がいて、テレビもラジオもつけない朝の時間が流れているの。その静かな時間に、ふっといろんなことがひらめくのね。「そうか、あの原稿はこう直せばいいのね」とか、「今日はあの人に電話してみようかしら」とか。

午前6時ごろ、世界中の人がそれぞれに動き始めていることを想像すると、「みんな働いているんだなあ」と思って、少しだけ背筋が伸びるわ。

総理大臣だって、ふつうの社員さんだって、どんなに偉そうに見える仕事も、つきつめれば「今日も一日、なんとかやりくりする仕事」でしょ?

そう思うと、わたしの小さなひとり暮らしの家事と仕事も、「世界の仕事」の一部なんだと思えてきて、ちょっとだけ誇らしくなるわ。

朝と夕方に、小さな“自分の仕事”を決めてみて。毎日がぐっと安定します。