トリクルダウンが受け入れられた理由
トリクルダウンについてはすでに多くの批判がある。一部の実証研究では逆に、貧困層の所得を向上させるほうが経済全体を上向きにさせるとの指摘があり、その有効性には疑問符がついている(※1)。だが、トリクルダウンは話としては極めてわかりやすく、因果関係の喩えも巧みなため、多くの人々に受け入れられた。このように、政策が持つナラティヴ的な側面は、人々にイメージを喚起させ、その支持の調達に資するのだ(※2)。
なお、トリクルダウンの提示するストーリーに対しては、「上のグラスは底なしに大きく、いつまで経っても下に滴り落ちない」などといった、相手のストーリーに則ったうえでの反駁がありうる。実証的な検証はもちろん必要だが、わかりやすいストーリーに対して、別のわかりやすいストーリーを打ち出して、相手側のナラティヴを打ち消すといった方策もありうる。こう考えれば、政策をめぐる支持派、不支持派の争いは、エビデンスのみならず、ナラティヴの戦いだとも言えるのである。
このようにナラティヴは、政策とも分かちがたく結びついており、我々が物事を理解するうえで無くてはならないものだと言える。
※1 Akinci(2017)
※2 Fischer(2024:111-113)
社会を変えるためにはストーリーが必要
また、ナラティヴは社会を変えるうえで極めて重要な働きを有していることも強調しておかなければならない。
たとえば、米国の公民権活動家のローザ・パークスが1955年、黒人差別の激しい時代において、バスの白人専用の席に座って席を譲らなかったというエピソードがある。このエピソードは、間違った差別的なルールに対して不服従を貫き、社会を変える機運をつくったものとして、米国のみならず多くの世界の抵抗者たちへ勇気を与えるナラティヴとして語り継がれている。一人の黒人女性が、当時は当たり前だとされていた規範やルールに異を唱えたという一連のストーリーは、多くの人にとってわかりやすく、受け入れられやすいものだ。
ナラティヴとは元来、個々人の語りであるとされてきた。そうした語りは、個々人の経験を中核としたものであるから、時に支離滅裂なものでもありうる。当然、個々人の経験や想いはかけがえのないもので、その語りに何の意味もないということは決してない。だが、人口に膾炙し、多くの人々に影響を与えるナラティヴたりうるためには、ある程度、首尾一貫したストーリーラインが必要とされており、それを備えたものが、社会の変革に貢献する。

