「都合のいい解釈」が自分を救う
研修を終えて帰国したとき、すでに母の葬儀は終わっていました。
「親の葬式にも出ないで外国に行っているのか」と、理解に苦しんだ親戚もいたと思います。
けれど、後悔はありませんでした。病室で母と目を合わせ、「いってきます」「いってらっしゃい」と言葉を交わしたあの瞬間に、私たちの別れは済んでいたからです。それは心が通じ合っている当人同士にしかわからないこと。
私の記憶に残っている母は、病に伏した姿ではなく、私を励まし、いつも通り送り出してくれた元気な姿です。
「自分にとって都合のいい解釈をしているだけ」「親の臨終よりも自分の都合を優先させたことへの言い訳にすぎない」と見られるかもしれません。
けれど、私はそれでいいと思っています。むしろ、自分にとって救いとなる解釈を持つことが、残された人には必要ではないでしょうか。
大切なのは、世間の物差しで別れのかたちを決めることではなく、自分と相手のあいだにあったつながりを、最後にどう受け取るかです。
人前で見送ることだけが別れではなく、それまでに過ごしてきた時間や、最後に交わしたひと言を、一人静かに思い返すことも、別れになることがあります。
自分自身が「これで別れができた」と心から思えるのであれば、それはその人にとって、偽りのない別れだったといえるのではないでしょうか。
仕事の価値を教えてくれた父の短い言葉
私の父は、会社経営の苦労を知る人でした。商売の厳しさを身に染みてわかっていたからこそ、息子である私に現実離れした理想論を語らなかったのでしょう。
私が父の歯の治療を行ったときのことです。治療を終えてから、父は顔を合わせるたびに、「なんでも食べられるようになって本当によかった。インプラントは最高だな」と繰り返しました。
その言葉の意味に、私はあとになって気づきました。
父は、私の仕事がどれほど人の人生を豊かにするものか、その価値を信じてくれていたのだと思います。「最高だな」という短い言葉の中には、「誇りを持って、これからもこの仕事を続けていきなさい」という、父なりの力強いエールが込められていたのではないかと、私は受け止めています。
私の勝手な解釈かもしれませんし、父を美化しているだけなのかもしれません。それでも、父からもらった言葉を指針にして、私はこれまで以上に仕事に向き合えるようになりました。

