大切な人との別れのかたちはどうあるべきか。歯科医の井上裕之さんは「私がアメリカの大学で行われた専門分野の研修を終えて帰国したとき、すでに母の葬儀は終わっていたが、後悔はない。大切なのは、世間の物差しで別れのかたちを決めることではなく、自分と相手のあいだにあったつながりを、最後にどう受け取るかだ」という――。

※本稿は、井上裕之『悲しみを手放す。 大切な人との別れや失意の日々が教えてくれること』(日本実業出版社)の一部を再編集したものです。

葬儀と花
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私が母の葬儀に出なかった理由

大切な人が最期の時を迎えるとき、できることならそばに寄り添い、その手を握って見送りたいと願うものです。

たとえその瞬間に立ち会えなくても、せめて葬儀に参列し、お別れをすることが供養になる。一般には、そうした考え方があります。

けれど、別れのかたちに正解はないと私は考えています。周囲の目にどう映るかではなく、当人同士がどのような思いでその瞬間を迎えたかが大切です。

そこには、外からはうかがい知ることのできない、2人だけの物語があります。

私の母が入院していたとき、歯科医である私は、アメリカの大学で行われる専門分野の研修を控えていました。

出発の前、病室を訪れた私に、母はいつも通り「いってらっしゃい」と声をかけてくれました。「これが母との最後の会話になるかもしれない」。そんな予感を抱えながら、私は日本を離れました。

その予感は、現実になりました。研修中に「母が亡くなった」という知らせを受けたのです。

母は、私が学ぶことを何よりも尊重し、いつも私の仕事を応援してくれた人です。「今のあなたにとって大切なことをまっとうしなさい」と言って送り出してくれるのが、母でした。

だから、たとえ最期の瞬間に私がそばにいなくても、母が悲しむとは思えませんでした。もし私が母を気遣って研修を断念していたら、母はかえって心を痛めたのではないかと思います。