「大喪の礼」を経ての“帝の終活”

上皇が退位したのは、2019年4月30日である。それ以来、正月の新年一般参賀など一部の機会を除き、上皇后ともどもほとんどの公務からは退いている。

しかし、今回の報道で明らかになったのは、上皇が人生を締めくくる「終活」を実は着実に進めていて、自身の葬儀をできるだけ簡略化しようとしていることである。

上皇は現在、92歳である。今年の12月23日には93歳になる。まだまだ元気で、肉体的な死を迎えるのは先のことだろう。だが、上皇の場合には、たとえ本人が「葬式は、要らない」と考え、規模の小さな葬儀を望んでも、そう簡単にはいかない。そこに、上皇特有の終活の難しさがあるのだ。

退位を実現させるために制定された法律が、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」である。その特例法の第3条第3項には、「上皇の身分に関する事項の登録、喪儀及び陵墓については、天皇の例による」と規定されている。つまり法律のうえでは、上皇の喪儀と陵墓は、天皇の例に従って扱われるのである。

天皇の葬送については、国の儀式として「大喪の礼」が行われ、これとは別に、皇室の行事として一連の「大喪儀」が営まれる。実際、上皇の父である昭和天皇が亡くなったときには大喪の礼が営まれた。

それは1989年2月24日のことだから、今から37年前ものことである。当時の日本社会はバブル経済の真っただ中にあった。

1989年2月24日、葬場殿に向かう昭和天皇の霊柩を乗せた葱華輦
1989年2月24日、葬場殿に向かう昭和天皇の霊柩を乗せた葱華輦(写真=宮内庁/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

昭和天皇葬儀の比類なき規模

バブルの時代には、“金余り”を背景に、葬儀も相当に派手になった。昭和を代表する俳優で歌手の石原裕次郎が亡くなったのは1987年で、葬儀には2つもビッグバンドが入った。裕次郎のヒット曲を演奏するためだ。89年には、戦後最高の歌手である美空ひばりが亡くなっているが、こちらの葬儀にもビッグバンドが入ったうえ、それは地方の7つの会場に同時中継された。

松下電器産業(現・パナソニック)の創業者、松下幸之助の葬儀も美空ひばりと同じ年で、「密葬」には1万2000人が参列し、本葬では一般の参列者の献花に3時間かかった。

しかし、規模の大きさでは、昭和天皇の大喪の礼にはいずれも及ばなかった。大喪の礼というのは、恐ろしく規模が大きく、また大変な葬儀なのである。

昭和天皇が亡くなったのは1989年1月7日である。それから陵に埋葬されるまでのおよそ50日間、「もがり」を中心とする葬送儀礼が続いた。そのうち37日間は、皇居・宮殿の正殿松の間に棺が安置され、生前好んだ食事が毎日供えられた。松の間は、宮殿内で最も格調の高い部屋とされ、「即位礼正殿の儀」もここで行われる。

2月24日の葬儀には、国内外から約1万人が参列し、会場となった新宿御苑は2カ月半も閉鎖された。当日、大規模な交通規制が敷かれ、国民の間には、「自粛」ムードが広がり、さまざまな行事が中止や延期に追い込まれた(朝日新聞2026年9月3日付)。そんなことまで起こったのである。