趣味の学びはなぜつらくないのか
この学習は、学校で学ぶことだけを指すわけではありません。たとえば中高生なら、「アニメが好き」「サッカーが好き」「音楽が好き」など、さまざまな趣味があるでしょう。好きなものについては自分から調べるので、知識がどんどん増えていくという人も多いはずです。たとえばアニメが好きな人であれば、作品の設定や声優のことまでよく知っていたりするのではないでしょうか。
そして、そのような知識を得ようとしている時間については、まったくつらくなく、「なぜこんなことを学ぶのか」という疑問も出てこないものでしょう。つまり、趣味の学びについては、「なぜ学ぶのか」という問いがそもそも出にくいのです。
また、幼児が母国語を身につける場面を考えてみると、私たちの身の回りでは、子どもは自然に日本語を習得していきます。「なぜ日本語なんか覚えなきゃいけないの」とつらそうな様子を見せることはまずありません。つまり学習というのは本来、苦しくてつらいものばかりではないのです。
「勉強」という言葉に潜む抵抗感
では、「なぜ勉強するのか」という問いがなぜ出てくるのか。それは、日常で言う勉強という言葉が、そもそもつらい学習を指していることが多いからです。
先ほど触れたように学習は学術用語ですが、勉強は日常用語です。厳密な定義は決まっていませんが、いろいろな辞書を見比べていくと、『新明解国語辞典』にしっくりくる定義を見つけました。
この辞書によると、勉強は「そうすることに抵抗を感じながらも、当面の学業や仕事などに身を入れる」と説明されています。ここで大事なのは「抵抗を感じながらも」という部分です。つまり日常語としての勉強には、もともと「やりたくない、気が進まない、嫌だと感じる」といった感覚が含まれているわけです。

