「津久井やまゆり園事件」に繋げてはいけない
橘:遺伝の話が難しいのは、身長や体重と同じように知能や性格が遺伝するというのは、たんなる生物学的事実にすぎないのに、そこにどうしても優劣が生じてしまうからですね。
安藤:オリンピックを見て「優れた人はいいな」とみんな思います。でもそのロジックの延長で、「劣った人は悪い」と同義なのか。「劣っている人は存在してはいけない」というロジックは、「津久井やまゆり園事件」のような凶行にもなる。しかもそれはブーメランのように自分自身の価値を否定します。結果、犯人自身が死刑に処せられた。それに気づかず、自分はマジョリティ側で安全だという人が能力主義を言ってしまう。突き詰めると、それが自分自身と社会を殺伐とさせているんです。
橘:優生思想というのは、もともとはリベラルな思想ですよね。よりよい社会、よりよい未来を作ろうとしたフランシス・ゴールトン(ダーウィンのいとこ)のような知識人が、動物の品種改良があまりに成功したので、同じことを人間にやれば素晴らしい世界が生まれると信じた。
河田:社会にとっていいことと、個人にとっていいことは違います。私の同僚の千葉聡さん(進化生物学者・東北大学名誉教授)の『「科学的に正しい」の罠』(SB新書)にも、リチャード・ドーキンスが「家畜で品種改良できるんだから人間でもできる」と言って大炎上した話が出ていました。できることは確かだけど、やっていいかどうかの判断をどこに置くかが重要です。
個人で「優生学」を実践できる時代
橘:かつては国家が優生学を実践したことでホロコーストのような悲劇を引き起こしたのですが、今ではそれを個人レベルで行なえるようになった。遺伝子疾患のない子どもがほしいというのは親の正当な願いで、遺伝子編集のようなテクノロジーでそれが可能になるなら、「優生思想だ!」として止めるのは難しいんじゃないでしょうか。中国などでデザイナーズベイビーが誕生する未来は、すぐそこに来ています。
河田:「優生学=悪」とはじめから断定してしまうのではなく、個人主義的優生学は社会としてどこまでなら許されるのか、という議論を十分にすることが重要だと思います。
検索時に関連する記事が表示されます




