戊辰戦争で戦い、五稜郭で降伏

幕末期、仕えていた将軍・徳川慶喜が大政奉還し、慶応4年(1868年)、鳥羽伏見の戦いに父と共に参戦したとき、良光は18歳ぐらい。もう立派な一人前の武士だった。その後も父子は薩長を中心とする新政府軍には屈せず、全国を転戦し、ついには函館にまで渡って五稜郭に立て籠もった。

幕臣や土方歳三ら新選組の生き残りが最後まで抗戦した場所だが、結局、リーダーの榎本武揚(のちの明治政府外務大臣)は降伏。良光も榎本に呼びかけられて投降した。

蝦夷共和国(旧幕府軍)の総裁だった榎本武揚
蝦夷共和国(旧幕府軍)の総裁だった榎本武揚(写真=北海道大学図書館所蔵資料/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

しかし、良光の父親はここに至っても降伏なんかしたくないと函館からさらに北方領土方面に逃れ、二度と本土に戻ることはなかったという。まるで漫画『ゴールデンカムイ』のような、いや、それすら超えるエピソードである。

実は、鈴木雅の父親・加藤信盛(千三郎)も旧幕臣。幕末に旗本大番格に出世し、やはり新政府軍に最後まで抵抗した。鳥羽伏見で戦い、五稜郭でも戦って生き残ったというから、良光父子とは戊辰戦争で同志となり、戦場で生死を共にした間柄だったのではないか。そんな彼の長女・雅と良光が結婚したのも、偶然ではないだろう。

鈴木良光が新政府軍と戦った五稜郭、北海道
鈴木良光が新政府軍と戦った五稜郭、北海道(写真=京浜にけ/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons

爆笑問題・太田が演じる役柄

「風、薫る」に爆笑問題の太田光が演じる患者の遠藤が唐突に出てきて、「(自分は)戊辰(戦争)の生き残りだよ」と言っていたが、雅の父親や夫の史実がこのキャラクターに反映されているのかもしれない。

明治4年(1871年)、鈴木良光は榎本武揚に推薦され、陸軍東京鎮台第三分営へ大尉心得として入営した。明治5年(1872年)に陸軍大尉、明治7年(1874年)、大阪鎮台歩兵第九連隊第二大隊所属となる。旧幕府の陸軍はフランス式の訓練を受けていたので、そういった経験も評価されたのか。

そして、明治10年(1877年)、大隊長心得(大尉)として西南戦争に出征した。

『陸軍省官員録』
『陸軍省官員録』明治9年6~12月、国立国会図書館デジタルコレクション