脳の場所を空けるために手放している

学長の職を退くにあたって整理したのが、膨大な本です。まずは、1000冊を超える蔵書をAPUの図書館に贈りましたし、いまも読み終えた本は、手元にためず、次々と大学へと送り続けています(そのため、APUの図書館には「出口文庫」があるそうです)。

山積みの本
写真=iStock.com/DmitriiSimakov
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長年旅行の折に連れ添った英国製のグローブ・トロッターの旅行鞄も3つ持っていたのですが、こちらも手放しました。この先、昔のようには頻繁には旅に出るまい、と見切りをつけたからです。

絵に描いたような生前整理だと思われるかもしれません。ところが、当の本人に言わせれば、これは終活とは似て非なるものなのです。手つきは同じでも、目的がまるで違います。

僕がモノを手放すのは、死に備えるためではありません。脳の場所を、空けるためです。持ち物というのは、不思議なもので、部屋の一角だけでなく、頭の一角も占領します。どこにしまったかを覚え、手入れを気にかけ、いつか使うかもしれないと思い続ける。一つひとつは小さくても、積もれば、頭の中の立派な間借り人です。

この間借り人たちに出て行ってもらうと、空いた部屋に、新しいものが入ってくる。だから僕は、いま使っていないものは、手放すのです。

捨てた後の棚に何を並べるつもりか

その証拠に、この習慣は病気とも老いともほとんど関係なく、その始まりははるか昔でした。腕時計をいくつも持っていた30歳前後のころ、その大半をまとめて処分しました。

42歳になって転勤(連合王国でした)のとき、たまりにたまった蔵書を、思い切って古本屋に運びました。このとき、古本屋に買い取られた約段ボール箱50箱分の本は思いがけない60万円という値段がつきました。そのとき、僕の本というのは大した財産だったのだなと驚いた覚えがあります。

世間の生前整理と僕の荷物整理は、外から見れば同じ「捨てる」でも、向きが逆です。あちらは人生の店じまいに向かって、棚を畳んでいく。こちらは、明日の新しい仕入れのために、棚を空けておく。閉店の支度したくをする店と、棚卸しをして繁盛し続ける店の違い、と言えばわかりやすいでしょうか。捨てる行為が終活かどうかは、捨てた後の棚に何を並べるつもりか、で決まるのです。