人生の終わりに向けて準備をする「終活」への関心が高まっている。立命館アジア太平洋大学名誉教授の出口治明さんは「一般的に終活と呼ばれるものはほとんどしていない。ただし、これだけは決めておいたほうがよいのではないかという例外が一つだけある」という――。
※本稿は、出口治明『老いと死をファクトで考えてみた』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。
「骨は海にまいて」とだけ伝えている
本書の「はじめに」では、僕は終活をほとんどしていないと言いました。
一方、世の中は終活ブームです。エンディングノートを書き、生前整理をして、遺影を選び、お墓を決めて、葬儀の形式まで指定しておく。書店に行けば終活の棚があり、終活の資格やセミナーまであります。誤解のないように言っておくと、僕はそれらを否定しません。準備をすることで安心できる人は、すればいいのです。
死後について僕が家族に伝えている望みは、1個だけです。それは、死んだあと、火葬して残った骨は、海にまいてほしいというもの。墓は入りません。
手元に残したのは数着の衣服だけ
なぜ、海にまいてほしいのか。理由は単純で、すべての生命は海から生まれたからです。38億年前、最初の生命は海で生まれました。僕という生命も、たどっていけば海の出身です。だから、死んだら海に帰る。理屈が通っているでしょう。
もっとも、これも「遺言」というほどのものではなく、好みの表明です。実行するかどうかは、残された人が決めればいいのです。散骨には決まりごとや作法もあるようですが、そこは残された人が、そのとき調べてくれるでしょう。
そのほかしたことは、荷物の整理です。何年か前に部屋のものを整理したときには、コレクションしていたワインボトルもすっかり捨てました。段ボール25箱分あったものを、自分の部屋に入るものだけに厳選し、最後は1箱までに減らしました。そのほか、僕が持っているものは、スーツ、冬用のセーターを数枚、下着くらいのものです。


